ドメス(懐かしい言葉)2010/10/25

野菜(ペン画)
ストアに行ってお野菜の高いのに吃驚する。 円高とかデフレ傾向とか言われても物価が上がってる様な気分になってしまう。
昔書いた野菜の絵を見ていたら戦時中のことを思い出した。
少し高くても今はお店に生鮮食料品が並んでいるのだからまだ良い なんて、戦争体験の後遺症は抜け切らなくてすぐ比較してしまう悪い癖。

昭和19年に進学して寮に入って、初めての夕食は米飯に鰊の煮付けだった。 まあまあ普通の食事にホッとした記憶がある。
その後、どんどん食糧事情は悪化して寮の食堂の食事だけではお腹が空いて堪らない。(食堂の献立は覚えていないが)
地方から来ている子が多かったから家からいろんな食糧を送って貰って夜七輪の炭火で自炊した。
これを 当時はドメスと称していた。
「今晩ドメスするから 食べにいらっしゃいよ」
私の家は都会だったから何も送って貰えず、ご馳走になってばかりだった。

外地から来てる人たちは内地では手に入らないものの小包がよく届いていたな。
しかし終戦を境にして運命は変わった。 命からがらの引き上げ後の生活は苦しかったと思う。 誰も口には出さなかったけれど。
グループにも一人いて、これはずっと後の話だが修学旅行が決まったときに誰かが
「家を離れて寮で毎日一緒に寝てるのだもの、修学旅行なんて今更ね」
と言い出し、皆も「そうよね。 行ったって詰まらないよ」
結局私たちのグループ4人は修学旅行の間は寮で留守番していた。
理由は判っていたが、同情なんかじゃない 自然の成り行きだったのだ。

ドメスの話に戻る。 農村から来てる子はいいな と思いながら新鮮な野菜を一緒に食べたが、我が家も田舎に疎開してからは提供できるようになった。
寮の自室で火を使って料理するなんて よく許されたと思うが仕方なかったのだろう。
粗末なものだったが美味しかった。 お腹がふくれるだけで幸せ感があった。

食べることが好きなのはこの時のトラウマかも。
絶対捨てられないものね。