写真雑感2010/10/05

馬頭の石膏素描
朝からアルバムに入れていない古い写真を仕分けしていたら疲れた。 もう関係なくなったのは思い切って処分する方へ束ねたが全部に目を通すだけでも一苦労、そこに何かしらの感情が入るから精神的にも疲れる。
以前にちゃんとアルバムに整理したのは書棚の上へ2段に重ねてある。 押し入れには親類縁者や知人の写真がいっぱいだ。 長男の宿命だろう。 義母によく聞いて名前くらいは記して置くべきだったと後悔する。 お葬式の写真なんて大人数が並んでいるが誰のお葬式だったのだろう?
それでも風俗を見ているとその時代が垣間見えるし、私が処分は出来ない。

昭和初期には家庭で写真を撮る家は少なくて、年に一回くらい写真館に行って家族写真を撮った。 学校では毎年先生を真ん中にしてクラスの集合写真を撮って、懐かしい情景を思い出すよすがになっている。

私が小学4〜5年の頃本家の従兄弟が我が家から写真学校に通っていた。 彼の父が早く亡くなって本家を継ぐのだが身体が弱くて進学出来ず、父が考えた末に写真の道を選ばせたのだ。
従兄弟も喜んで通い、我々の写真も撮ってくれたからその頃にしては珍しくスナップ写真が残っている。
従兄弟は卒業後に山奥の家の敷地にスタジオを建てて村の結婚式などにも出かけ、結婚して立派に家を守り立てていた。

戦後の学生時代もカメラを使えるのはクラスに一人くらいで写真館に友達と連れ立って撮ったのが数枚あるだけだ。

結婚してから兄からカメラを貰って、我が家の家族写真も増えて行ったが、カラーになったのは東京オリンピックの前くらいだった様な気がする。
その前は写真用のカラーインクで私が彩色していた。

爆発的に我が家の写真が増えたのは簡単に撮れるコンパクトなカメラが出回って私が撮るようになってからだ。
「バカチョン」が差別用語と指弾されたころだ。
デジタルカメラになってからはパソコンに収納しておけばいい。
今の若い世代は携帯で撮ってメールで送るくらいしか興味持たない人が多い。 マニヤは別だが。

あ〜あ 撮りまくった期間の膨大な写真をどうしようかな。
本当は 未だに夫の写真を見るのが懐かしいより辛くて開けたくないアルバムも多いのだ。