桃の節句(雛祭り)2020/03/03

お雛様の思い出 ―
子どもの頃、桃の節句が近くなると母は一人で雛人形を飾っていた。
昔、嫁入りの時に持って来たものらしい。
姉も私も古めかしい人形に全然興味がなかった。フランス人形のほうがずーっと素敵だと思っていたのだ。

それでもハッキリ覚えている。
御殿造りというのか、精巧な御殿のなかに収まっていて両端には欄干のついた渡り廊下があった。
御殿の中の一段低くなった所に三人官女が並んでいたっけ。
その下には左近の橘、右近の桜、左大臣、右大臣、
その下には可愛いい五人囃子、一番下の段には蒔絵のお道具類のミニチュアが。

母は毎年出しては愛おしそうに眺めていた。 実家の派手だった商家での子ども時代を思い出していたのかも知れない。
どうして もっと母に話しをねだり、一緒に楽しまなかったのだろうと悔いる。今ならあのお雛様の品の良いお顔や調度の美しさに酔いしれただろうに。

このお雛様は終戦間際に生まれた初孫(姉の子ども)に贈られた。 窮乏のどん底でお雛様など手に入らなかった時代だ。
その子が疎開先の小学校に入り、ひな祭りには先生に引率された生徒が見学に訪れたそうだ。

百年以上前のお雛様は どうなったのだろう。 ちょっと聞き難くい。 この時期になると古い日本間の隅に飾られていたお雛様がスポット当てたように浮かんでくる。

                    2010/03/03
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ブログを始めて最初の3月3日に書いたもの。
結婚してからもお雛様には縁が無くて、夕食に散らし寿司だけは定番で作るのが楽しみだった。
何だか遠い昔になったな。

添付写真のお雛様の掛け軸は、私が女学生になって習い始めた日本画で、先生が注文して掛け軸にして下さったもの。
立派な表装で、アノ時代に20円も掛かったみたい。
珍しく父が「まだまだ未熟なのに」とちょっと批判的だったし、油絵を習ってて二科展にも入選してた姉も「私ももっと額縁欲しいのに」と笑っていた。

日本画は結婚前の淑女のたしなみとして習う方が多かったみたい。
子どもは私だけだった。

でも、そのお陰でこの歳になるまで置いて、雛祭りになると必ず床の間に掛けた。
下手でも懐かしくて、先生に感謝です。

ここには持って来れなかったので10年前に添付した小さな写真を添付絵に。
雛の部分だけです。