忠臣蔵の日2016/12/14

昭和57年公演
12月14日、昔人間は忠臣蔵を思い浮かべる。
赤穂浪士の討ち入りの日、そして今夜はお蕎麦にしようかな なんて。

数日前にTVで古舘さんの実況放送の設定の討ち入りの仔細を観て、新事実に納得って感じで興味津々でした。

子どもの頃から本で繰り返し読み、長じてからは歌舞伎でお馴染みになった。
史実とは異なっても、今も懐かしく思い出します。

都民劇場で観に行っていた頃のプログラムを漁ったら、一冊だけ、
『仮名手本忠臣蔵』が見つかって嬉しくなる。
昭和57年、海老像や勘九郎がまだ若い。
そのほかにも懐かしい名前が並んでいて、過ぎ去った長い年月を憶いました。

こういうことが有るから断捨離がなかなか出来なません。

添付写真はその時のプログラムから。
余談ですが、歌舞伎のこれのことを、昔は「番付」と呼んでいたような記憶で、「プログラム」は映画のようなイメージ。
ちょっと調べたら関西用語だったみたいです。

コメント

_ 晴香 ― 2016/12/14 20:43

すごい!!私が生まれる前のものなのに保存状態がいいですね!!
断捨離、難しいですよね、特に思い出の物は…
海老蔵さん、勘九郎さんはどちらも亡くなったお父様の方ですか??色っぽいですね(゚∀゚ )
明日も良い日になりますように。おやすみなさい。

_ 美海 ― 2016/12/15 17:24

晴香さん 
うわぁ お若くて羨ましいです!!!
私などチョット前に観に行ったなって感覚だもの^^;
亡くなった勘三郎さんが、まだ若手の勘九郎だった頃のものです。
当時の海老蔵さんも素敵でした。
歌舞伎界は襲名で、チョット離れていると判らなくなってしまいます(ーー;)
想い出に執着が有って、断捨離難しいです。
明日も元気に出掛けられますようにと願いつつ、
おやすみなさい。

_ カメ ― 2016/12/16 18:26

遅ればせながらこの時の海老蔵ぞっとするほどいい顔ですね。大ファンでした。みな居なくなってしまって・・・
八十助の左隣りに萬次郎の名が。小学校の同級生です。
まだお父さんの羽左衛門さんがいたからか前の方に出てますね。
まさに番付!の風情

_ 美海 ― 2016/12/16 19:29

カメさん
ほんと 当時の海老蔵、表現の言葉が無い程ステキでしたよね!
えっ 万次郎さんがカメさんの同級生!!!
幼いとき、どんな感じだったのかしら〜
羽左衛門さんも懐かしいです。
懐かしいって言えば、遠ざかっていた歌舞伎座に連れてって頂いた時のこと、思い出します。
う〜ん もう その元気無くなったかな(ーー;)

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