小さな幸せを求めて2014/02/13

信頼の眼差し
交差点で信号待ちしてて出会ったワンちゃん。
この辺はマンションが多いから大型犬は珍しい。
私は縫いぐるみのような小型犬も可愛いとは思うけれど大きな犬のほうが親しみが湧く。 対話が出来る感じ。

青信号になるまでに飼い主さんの若い男性に断って写真を撮らせてもらった。
「いいの?」ってご主人を見上げてる。
信号が変るまで寄り添って、最後に飼ったシェパードのことを懐かしく思い出していた。

彼は幸せだったかな。
今思うと淋しい思いもさせたなと8歳で死んだ彼に充分にしてやれなかった後悔もある。
それほど人間の感情に近いものを感じさせられた。
それっきり、長年続いて来た犬達との生活は終った。

「幸福」って何だろう?
とあらためて考える機会があった。
若い時に讀んだヒルティの「幸福論」は今もパソコンデスクの横の書棚に有る。 懐かしくて後年、古本屋で買ったものだ。

”人間が意識に目覚めた最初のときから、その意識が消え去るときまで、最も熱心に求めてやまないものは、なんと言っても単純な幸福感にほかならない”    (引用)

暗い無口だった幼い頃、劣等感にさいなまれた少女時代、戦争と貧困。
でも幸せを感じることもいっぱいあった。
年月がそれら全部をひっくるめて発酵熟成されて今が有る。
悩みが消えた訳では決してないが人生の終り近くなって一種の達観だろうか。

折角生きているのだから幸せなことを考えて感謝しよう。
過去を振り返れば、傍目には不幸でもそのなかにもきっと小さな幸せはあるし、状況は変わると信じるようになった。
傲慢かな。