年賀状のお陰で2013/01/06

真冬の落日
息子達が小学生だった頃、PTAなどで親しくしていた友達から電話を貰った。
新しい造成地に一緒の頃に家を建てて子ども達の幼稚園も小学校も一緒だったが夫々離れた地に住むようになって数十年経つ。
年賀状だけが続いていたお陰で懐かしい声が聞かれた。
ちっとも変ってなくて若々しい。

思いがけなく早くご主人が亡くなられて娘さん達も独立した後は老人ホームを選択、当時はまだ珍しかったが楽しそうだった。
先見の明があったのかも。
有る程度若くて元気なうちに入っておく方が馴染めるし友達も出来ていいのかも知れないと最近ちょっと感じたりする。

家族の近況を話し合い、PTA役員のお仲間の消息を聞くと親しかった方が随分亡くなられていて時の流れを痛感させられた。
異端児だった私と違って彼女はお付き合いがずーっと続いて偉いなと思う。
「今度会ったら皆様に宜敷く言ってね。
 私のことなど覚えてないかも知れないけど」
「貴女のことは皆、覚えてるわよ」
どう言う意味?
意見の違いで揉めたこともあったな それも今は懐かしい。

この歳になって円熟したかと自問してみればまだまだ程遠い。
ま 幾つになっても自分の欠点を自覚出来れば直せるし、精神的には成長出来る、したい と思っているのだけど。

級友からの電話で昔のことを懐かしく思い返した。
これも年賀状の効用だ。

昨日、家族のとこから持ち帰った
「置かれた場所で咲きなさい」 渡辺和子 幻冬舍
を讀もう。 今の私にぴったりかも。