9月には「敬老の日」2010/09/17

桔梗
「長寿を祝う会」の招待状を貰って明日は年上の友人と二人で行く約束だ。
これまで1回だけ出席したがここ4〜5年は欠席の返事を出していた。 市とお世話して下さる市民の方々には多いに感謝しているし、申し訳ないと思いながら何だか気が進まないんだなぁ。
演歌があまり好きでないってこともあるけど、要は年寄り扱いされたくないという傲慢かつ勝手な感情である。
83歳ともなるとチョットは自分のワガママを自覚、反省して出席させて戴くことにした。出演されるメンバーにも惹かれた。

私が高齢者になった実感がないのは祖父母と接した経験が無いからだと考える。
父は8人きょうだいの末っ子、母は5人きょうだいの末っ子で、私がまた末っ子だから生まれた時にはもうとっくに両方の祖父母は亡くなっていた。
子どもの時に父の生家に行って、鴨居に掛かっている祖父の写真と名前だけは知った。 母かたの祖父は熱心なクリスチャンになった話だけは母から聞いたが顔も名前も知らない。
祖母になると父からも母からも何も聞かされなかった。
両親はそれぞれ懐かしい想い出をいっぱい持っていたのだと思うが、子ども達に話す気がなかったのだろう。
今頃になって聞きたかったなあ と沁みじみ思うのだが手遅れだ。

親戚の家や友達の家に遊びに行った時、お祖父さまやお祖母さまがいらっしゃると近寄り難い威厳があって、いかにも一家の長老という感じを受けたものだ。 重みがあったなあ。
その分、嫁とか養子は苦労があったのだと思う。
一家の長のほうも我慢しなければならないことが多いというグチも聞こえて来たから大家族って大変だったのだろう。
良いことばかりは無いと考えると、今の軽老も気楽でいいなと思える。