父の思い出2009/11/25

昔 庭の栗の実を拾って描いた小さな油絵

父は明治25年の11月に中国山脈に取り囲まれた小さな村に生まれた。 2人の兄と5人の姉のいる末っ子で 2歳くらいの時の写真は乃木大将のような羽根のついた軍帽をかぶって可愛いい。
子どもの時の写真はそれ1枚しかなかった。
伯母達の話しでは村で神童と言われ少し離れた地の中学に進学、寮に入った。(5人の伯母達に取っては自慢の弟だったから神童は大袈裟かも)
旧制高校受験の時に結核を患い、それで医師を志したそうだ。
医学部卒業後は研究室に残っていたが恩師が辞めるのに殉じて暫く役所勤めをしていた時に母と結婚する。
末っ子の私が生まれた時は阪神間に住んで病院に勤めていた。

姉と母は姉妹のように仲が良かったし、兄は男子として特別扱いで末っ子の私はまあ付録のような存在。 別に不満ではなく注目されない分気楽だったが、父は少しは気に掛けてくれたのか一人連れて行ってもらった思い出が多い。 
大阪の四ツ橋にプラネタリウムが出来た時には父のほうが喜んで私を連れてよく通った。
映画はニュースと文化映画だけを。
時々ゴルフ場にもお供した。 3人のお仲間がゴルフしてる間、私は一人で邪魔にならないように歩き回って楽しかったが姉や兄は父と行っても詰まらなかったのかもと今思う。
絶対に叱ったり声を荒げる人ではなかった。
大正デモクラシーだったのか、子どもの人権を尊重して、兄弟でも上下の関係を強いる事はなかった。
夏目漱石が大好きで彼が若くして亡くなった時はとても悲しんだと母から聞いた。
父は私が19の時に肺炎でなくなったが、いっぱいの思い出を残してくれた。 

そういうことを書いておきたくて始めたブログだもの折りに触れて、いろいろ昔の事を思いだすままに書きたいと思っている。