父の命日に2022/03/13

父を見送ったのは昭和22年、
父は56歳、末っ子の私はまだ18歳でまだ学生だったが病後の母の代わりに自宅に帰って、父に付き添っていた。

医師だった父は自分の容態が一番判ってたみたい。
傍に寝て一緒に、過ごせたことがせめてもの慰めだった。
末っ子は親との付き合いは短いもの。

本が好きで、座敷の大きな書棚には近松全集、漱石全集、世界文学全集などなど〜
一番下の段は子供のためのアルスの全集、(50冊くらい有ったかな)

おかげで、私も幼い時から本が大好き。
字を習った覚えはないけれど、物心ついた時にはもう座敷に寝転がって、片端から読んでいた。
母に幼稚園に行く事を勧められたけれど 気が進まなくて拒否。
遠くて送り迎えも大変だったから、母も無理にには勧めなかった。

小学生の頃には世界文学全集に手を出してて、母が心配して父に相談したらしい。
父は「うちに子供が読んで悪い本は置いてない」と庇ってくれたが、それ以来「子供の科学」や「ファーブル昆虫記」買ってきてくれる様になって新しい世界が広がった。

炬燵で父と二人で話すのが楽しみだった。
まだ珍しかったプラネタリュウムや、日曜日には必ず行っていたゴルフ場にもよく連れて行ってくれるように。

私の将来を心配しながら56歳で亡くなった父にのことを、懐かしく思い出しました。

まだパソコンが思うようん使えなくて、写真も添付できなくて〜

明日からパソコンの状態にも真剣に対処しなくてはと思っています。

遠山の雪に2022/02/23

今朝も、窓イッパイに広がる青空が嬉しい。
遠くの連山の雪景色に魅せられながら、もう暫くで春でお別れかなとカメラを向けた。

雪の滅多に降らない地に育ったから、雪は憧れだった。
京都の学校に進学した後に、父も転勤で琵琶湖のほとりに移ったので雪景色もお馴染みに。
するとスキーがして見たい。

卒業後、母の友人の紹介でアルバイトしてた時に知り合った友人と二人で、琵琶湖の奥のマキノスキー場に行った。
真夜中に大津港から船に乗って、夜明けに着く。
リフトも何もない時代。

黙々と登って見下ろすと一面、何の跡もない新雪。
スキーなどする余裕のない世情だった。
転んで大きな痕を残しながら、でも夕方に帰る頃には何とか麓まで滑って降りれた。

結婚してからは、夫も好きでよく滑っていたから二人で民宿に泊まりながら楽しんだのが懐かしい。

今日は山の残雪を観ながらチョッと思い出に耽りました。

再開に向けて2022/02/16

気がつけば もう2月も半ば過ぎ。
時節柄、蟄居の日々の連続で、すっかり怠惰が身についてしまった。
暮れから身体の不調が続いたけれど、加齢による現実を素直に受け入れるべしだ。
ヤット気持ちを切り替えて、拙いブログを再開することにしました。

心許ないけれど、例によって「継続は力なり」と言い聞かせながら〜 です。

温かいコメントをイッパイ! 有難うございます。
元気いただいて感謝!!!
レスを失礼してて、ごめんなさい。

添付写真は、そろそろ写生も再開したいとお隣のお花屋さんで求めてきたお花です。

今年もどうぞ宜しくお願いします2022/01/15

新年 明けましておめでとうございます

 今頃になって恥ずかしいけれど、暮れから体調を崩して失礼しました。
このご時世で病院に行くのも憚られ、それでも何とか復調?
あとは歳のせいと割り切って出来ることで楽しみたいです。

取り敢えずご無沙汰のお詫びと頂戴いたお優しいコメントへのお礼を申し上げます。

添付写真は未だ絵も描けなくて、写生しようと買った薔薇の造花です。

12月も2021/12/07

12月になってあっと言う間に一週間が過ぎた。
何の責任もない身だけど、せめて身辺整理だけはと始めたら、キリがない。

でもヤット方針も決まって、あともう少し。
休んでしまったブログを再開しようとしたら先月、取り替えたパソコンが思うように使えない。

とりあえず今日はiPadで〜
当分は試行錯誤がつづきそう。

添付写真は、街路樹の黄葉に季節を感じて。