浜辺の想い出2010/09/28

釣り人
昭和初期の阪神間には、長閑な海とベージュ色の砂浜が延々と続いていた。
私が物心ついた時には、モダンな赤い屋根の家や広大なお屋敷、鉄筋コンクリートの学校や役場が建ち並ぶ住宅街になっていたが、その前は胡瓜畑が広がり、海辺は漁師さんたちの住む町だったと聞いている。 大正の頃から主に大阪商人の本宅が出来、サラリーマンのベッドタウンになったらしい。
子どもだったから詳しいことは知らない。
隣接する三都の街なかと違い土地がふんだんに有るから敷地の広い家が多かった。

浜の近くの一角に昔から住んでる漁師さん達の家が固まっていて独特の雰囲気だったな。
あの辺りは鰯がよく獲れて、運がよいと地引き網を引く姿が見られてワクワクしたものだ。
漁師さんの家族が集まって十数人が綱引きのように一列になって地引き網を海から引き上げる。 胡麻髭のおじいさんなど何にも衣服を纏っていなかったけれど子どもだったから何の違和感もなく逞しい赤銅色の筋肉を頼もしく眺めた。

あがった鰯は自転車の荷台に乗せられ
「イワシのとれとれ〜っ」
の掛け声とともに町中を走って、家々ではお鍋を持ったお手伝いさん達が買い求めに走る。
我が家でも鰯の料理が多かった。
記憶に残ってるのは、鰯の頭と骨を取って開いた身にマッシュポテトを乗せてロール状に巻き、小麦粉と卵とパン粉をつけて揚げたの、大好きだった。

あと 釣りの思い出は、そのころ我が家から中学に通っていた従兄弟と彼の友達に連れられて浜でカレイを獲りにいったこと。
遠浅だから竿は使わず投げ釣りだった。
釣り糸の先に着いた小さな分銅を頭の上でグルグル回し勢い良く
沖に放り投げる。 私は見物するだけだったが結構楽しかった。
果たして収穫はあったのか、その辺の記憶はない。
その従兄弟も随分前に亡くなったから昔話も聞けなくなった。

テレビでシイラを釣り上げる場面を偶然見て、こういうことも有ったなぁ と。