64年前の今日2009/08/15

昭和20年8月15日は長い長い戦争が終わった日。

昭和6年 満州事変勃発。
昭和12年 盧溝橋事件。日中戦争始まる。 南京占領。
昭和14年 第2次世界大戦勃発(独軍ポーランド侵攻)
昭和16年 太平洋戦争始まる。
昭和20年 日本敗戦

私は4歳から18歳まで戦争の中で成長したわけだが、こどもに危機感はなく学校で月に1度くらい兵隊さん宛ての慰問文を書き、出征する方を日の丸の小旗を振りながら「勝ってくるぞと勇ましく」を歌いながら駅まで見送るのが小学生と国防婦人会の義務だったくらいで市民生活にさしたる影響もなかった。
今考えると赤紙のきた若い男性の方も家族の方も辛かっただろう。若い奥さんが「おめでとうございます」と言われながら暗い顔をしていたのを思い出す。

昭和16年12月8日の真珠湾攻撃から敗戦までの4年間は崖を転げ落ちるように食料はじめすべてが無くなり学徒出陣、学徒動員などで勉強どころではなくなる。 前線は転進、玉砕、特攻隊に並行して容赦ない本土爆撃が始まりついにヒロシマ、ナガサキだ。
明日に希望を持てるはずもなくぼんやり死を覚悟していた。

そんななかで迎えた8月15日、玉音放送は雑音でほとんど聞き取れなかったが姉がポツンと「戦争終わったんと違う」と言ったが皆半信半疑だった。 照りつける日差しの中蝉がやかましく鳴いていた。
何時間かして隣組を通じて詳細が判った。
負けた今後の不安より「生き残った」の気持ちのほうが強かった。

夜になって何事にも積極的だった姉が「これもう取っていいんじゃない?」と言って電灯の黒いカヴァーをはずし、窓の暗幕も明けた。
空襲に備えて厳しい灯火管制を強いられてきていたのが、いっぺんに明るくなった。眩しかった。
戦争がほんとうに終わったのだと実感した一瞬だった。

私の敗戦記念日はこんな日だった。 あのとき一緒だった父母も姉も一緒に玉音放送を聴いた隣人も皆亡くなってしまった。

コメント

_ さわ ― 2010/08/06 00:33

>負けた今後の不安より「生き残った」の気持ちのほうが強かった。

なんで素直な一言なんでしょう。
心にジーンと響きました。
それで良かった。生きてて良かった。
でも、そこからご苦労されたでしょうね。
だからこそ、今があり、私達は
のほほーんと生活する事ができています。

ありがとうございます。
生きててくれて、ありがとうございます。

これからも日記楽しみにしています。
お体ご自愛くださいませ。

_ 美海 ― 2010/08/06 10:18

さわさん
これで空襲も、機銃掃射も受けなくて済む!
戦争の責任を感じない18歳の少女が先ず思ったことです。
父母が健在だったから、戦後の過酷な状況に耐えられました。
解放感が何より大きかったです。
でも 戦後4~5年の間に同世代の知人が何人か自殺しています。
何十年経て、私はのほほーんと生きて楽しんでいます。

_ ゆみちゃん ― 2014/06/10 09:59

非常に複雑な思いで読ませていただきました。

_ 美海 ― 2014/06/10 17:07

ゆみちゃん
そうでしょうね

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
干支で寅の次は何でしょう?
(平仮名3文字でお答えください)

コメント:

トラックバック