カシワバアジサイを ― 2021/06/15
服用薬の分包に ― 2021/06/17
服用薬の分包に一日掛かってしまった。
頭が鈍ってきたセイも有るが、度重なった病歴で増えてる。
お陰さまで、何とか安穏な日常を過ごさせて貰ってて感謝だ。
薬学志望が、戦時下の爆撃、戦災などを逃れるために進路を変えたのが、尾を引いてるのか今でも薬を弄るのは好き。
大きな長い紙に、自己流の一覧表を作って〜
薬局で頂く薬の表を切り貼りして、目が悪いから、朝 昼 夕 の○ X を大きく書いて、下に集計を。
時々読み返すと、それそれの薬の効能や注意事項も改めて参考になる。
曜日のシールを貼ったA6のクリアケースに分包したのを、引き出し2段の中に列状に収めて〜
結構 頭の体操でした。
薬局にお願いすれば良いのは解ってるのに、物好きです。
添付写真は夕刻になって、梅雨の晴れ間に覗いた青空と白い雲に魅せられて。
頭が鈍ってきたセイも有るが、度重なった病歴で増えてる。
お陰さまで、何とか安穏な日常を過ごさせて貰ってて感謝だ。
薬学志望が、戦時下の爆撃、戦災などを逃れるために進路を変えたのが、尾を引いてるのか今でも薬を弄るのは好き。
大きな長い紙に、自己流の一覧表を作って〜
薬局で頂く薬の表を切り貼りして、目が悪いから、朝 昼 夕 の○ X を大きく書いて、下に集計を。
時々読み返すと、それそれの薬の効能や注意事項も改めて参考になる。
曜日のシールを貼ったA6のクリアケースに分包したのを、引き出し2段の中に列状に収めて〜
結構 頭の体操でした。
薬局にお願いすれば良いのは解ってるのに、物好きです。
添付写真は夕刻になって、梅雨の晴れ間に覗いた青空と白い雲に魅せられて。
94歳の独り言 ― 2021/06/20
チョッと体調崩して、いつもの心配症が出てしまった。
10年前に大きな手術をして戴いて以来、お世話になってる病院に昨日は伺って診て戴いて、諸検査も。
結果は以前と変わりなくて、ホッとしながらも自分の気の弱さが恥ずかしい。
独りを気にしてくださったのか、家族も連絡受けて駆け付けてくれて嬉しかったが申し訳ない気持ちでイッパイ。
年齢の自覚が無さ過ぎるのかなと反省。
体調に神経過敏なのは若い時からで、すぐにお医者さんに頼る癖が直らない。
父が医者で親戚にも医師が多く、病院にも馴染んでいたせいかも知れないけれど、もういい加減悟ってもいいころだ。
今日からは、画を描くのと読書に専念ししようと、
カシワバアジサイの写生の続きに取り組んだが、難しい!
少し萎れてきてるし、焦ってしまった。
明日は、お隣りで小さな鉢植えのお花を買って来ようかな。
それとも、梅雨空を〜
10年前に大きな手術をして戴いて以来、お世話になってる病院に昨日は伺って診て戴いて、諸検査も。
結果は以前と変わりなくて、ホッとしながらも自分の気の弱さが恥ずかしい。
独りを気にしてくださったのか、家族も連絡受けて駆け付けてくれて嬉しかったが申し訳ない気持ちでイッパイ。
年齢の自覚が無さ過ぎるのかなと反省。
体調に神経過敏なのは若い時からで、すぐにお医者さんに頼る癖が直らない。
父が医者で親戚にも医師が多く、病院にも馴染んでいたせいかも知れないけれど、もういい加減悟ってもいいころだ。
今日からは、画を描くのと読書に専念ししようと、
カシワバアジサイの写生の続きに取り組んだが、難しい!
少し萎れてきてるし、焦ってしまった。
明日は、お隣りで小さな鉢植えのお花を買って来ようかな。
それとも、梅雨空を〜
夕空に魅せられて ― 2021/06/22
昭和に生まれて(18) ― 2021/06/24
女学校入学
昭和15年4月に、女学校に進学した。
当時の学制は、小学校6年間 義務教育
公立、私立、師範学校の付属小学校など
中学校(男子) 5年制 高校 3年 大学3年(医学部は別)
女学校(女子) 5年制 専門学校 3年
戦前は女子は大学に進学できなかった。
当時は、公立の小学校では、進学できない子は、小学校の高等科(2年制)に〜
阪神間は県立、市立、私立の学校も多かったから進路も様々で校風も制服も多様だった。
私は当然のように、姉の卒業したばかりの女学校に進学したが、何もかもがカルチャーショックだった。
校舎が木造で小さい。
小学校は町立なのに、鉄筋コンクリート3階立てで正面には堂々たる時計塔が聳えていたし、屋上も広々していた。
阪神間は財閥が多く町の財政は豊かだったらしい。
後で聞くと、女学校の校舎が木造だったのは当時の校長先生のご見識だったみたい。
女子には木造のほうが身体に優しい、華美に走ないようにとも。
いま思うと、恵まれた家庭の子女が多かったから、人間としての大切なことを教えようとしてくださった気がする。
貧富、身分の差が激しい時代だったからだろう。
入学して間もない頃に、新入生全員で近くの神社(広田神社)に参拝した時の記念写真。
時局柄、制服が間に合わなくて殆どが私服でしばらく通学。
昭和15年のころの子どもの服装です。
昭和15年4月に、女学校に進学した。
当時の学制は、小学校6年間 義務教育
公立、私立、師範学校の付属小学校など
中学校(男子) 5年制 高校 3年 大学3年(医学部は別)
女学校(女子) 5年制 専門学校 3年
戦前は女子は大学に進学できなかった。
当時は、公立の小学校では、進学できない子は、小学校の高等科(2年制)に〜
阪神間は県立、市立、私立の学校も多かったから進路も様々で校風も制服も多様だった。
私は当然のように、姉の卒業したばかりの女学校に進学したが、何もかもがカルチャーショックだった。
校舎が木造で小さい。
小学校は町立なのに、鉄筋コンクリート3階立てで正面には堂々たる時計塔が聳えていたし、屋上も広々していた。
阪神間は財閥が多く町の財政は豊かだったらしい。
後で聞くと、女学校の校舎が木造だったのは当時の校長先生のご見識だったみたい。
女子には木造のほうが身体に優しい、華美に走ないようにとも。
いま思うと、恵まれた家庭の子女が多かったから、人間としての大切なことを教えようとしてくださった気がする。
貧富、身分の差が激しい時代だったからだろう。
入学して間もない頃に、新入生全員で近くの神社(広田神社)に参拝した時の記念写真。
時局柄、制服が間に合わなくて殆どが私服でしばらく通学。
昭和15年のころの子どもの服装です。
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