嬉しくて2020/07/09

今日は懐かしい方から、メールを戴いて嬉しかった。
イロイロお話しも詳しく伺いたいし〜 
と夜分に申し訳ないけどと思いつつ電話を。

久し振りに近況を伺うと うわぁ 凄い!! って感心してしまう。

私が夫の影響でパソコンを初めて、すぐにネットの催しや会議室に参加、その折からお世話になり、30年後の今も懐かしい友人(烏滸がましいかな)です。

そのあと いろいろ思い出に耽っていたら もうこんな時間。
戴いたコメントのレスを失礼してて御免なさい。

明日こそはって、いつものセリフです。

添付する絵も描けなくて昔のを。

悲しい訃報2020/07/10

今日は、アレもコレもと企画してたのに、何だか気が乗らない。
何か気になる。

午後になって、長いお付き合いの親しい方の訃報を聞く。
虫の知らせなんて信じないほうだけど、何だかシンミリしてしまった。
101歳、世間的には長寿を全うされたと言われるかも知れないが、悲しい。

遠くて、会うことは少なかったが、確か一緒に旅行した時の写真が有る筈〜
イッパイ並んだアルバムを見当つけて一冊引っ張りだして開いたら、ズバリと懐かしいいお顔が!
何だか導かれてるような気分になる。

11年前に一緒に山梨の高原を歩き回って、富士山を眺めたり、お蕎麦屋さんが美味しかったなんて。
90歳でも、とても元気に歩いてられたのに〜

少し遠いので、この時期に伺えない。
淋しいです。

さぁ 明日からは一日一日を大事に生きようって気持ちにもなりました。

添付写真は、旅行の思い出の一枚なのに雲がかかってて。

「銀の匙」を2020/07/11

昼食後、何気に開いた本を讀みだしたら、止まらなくて夕方まで一気読みしてしまった。

先日、選挙の折に里帰りして、持ってきた本の一冊だ。
  銀の匙  中 勘助 著  角川文庫 平成4年6月発行
私が買った本ではないけれど、懐かしくて。

夏目漱石が推奨していたのは知ってたが、女学校に入って国語の先生から作文のお手本のように教わって、岩波文庫のを買ったと思う。


余談だが、昭和10年前後は新しい作文教育に力を入れてたみたい。
朧な記憶だけど、6歳上の姉はこの先生に何時も褒めてもらってクラスメイトと同人雑誌みたいのを作っていた。
表紙と挿絵は、絵の得意だった姉が描いてたな。

姉が卒業して一年後に入学した私は作文が苦手で、
先生からは「理屈っぽいんだよ」と言われて納得した覚えが有る。

話しが逸れてしまったが、懐かしいのに内容は殆ど忘れてて、新鮮な思いで讀みました。
後編は、もしかして初めてだったかも。

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昨日、これをアップアップしてから、コメントを戴いて8年前のブログにブログに同じようなことを書いたのに気が付いた。
 2012年1月25日  「銀の匙』その後
スッカリ忘れていて 恥ずかしかったし自分の脳力後退を痛感させられました。

また 同じようなことを遣りそうだけど、どうぞ笑って見過ごして下さい。
添付絵なんて、同じようなのを何度も〜です。

今日は、久し振りに窓から見える夕景色を水彩で描きかけたが難しいです。

懐かしい友2020/07/14

しとしとと終日、雨。
身辺整理も最終段階になって、停滞している。
古い名簿などを見ていたら、懐かしくなって女学生の頃からの友人に電話した。

足腰弱ったなんてグチるけど、顔は見えないから若いい頃と全然変らない。
お互い医者の家庭に育ったから、病気や老化のことも気兼ねなく話せるし、教わることも多かったな。
ご主人の定年後は、我が家と同様旅行しまくったようだが、違うのは車の運転は彼女が全部、我が家と正反対で初めて聞いた時は驚いた。
女学生の時は控え目でオトナシかったもの。

長話して、それでも残り惜しく電話を切った途端に、関西のクラスメイトから電話を貰う。
その前に、聞きたいことが有って電話したけど留守だったみたい。
またひとしきり話しが弾んで、今日はミニミニクラス会のよう。

添付絵は、20年くらい前に思い出しながら描いた自分の若い頃の自画像です。

昭和にうまれて(11)2020/07/17

小学一年生だった頃

昭和9年の4月に小学校に入学した。
まだ家庭にカメラが普及してない頃で、入学式の日の写真は無い。
その代りに年に1回、教室に写真館の方が見えてクラス全員の記念写真を撮るのが習いだった。

何月頃かは覚えていないが、突然「これから撮るから」って教室の机を片付けて椅子を並べた。

新興住宅地で、人口の多い町だったが貧富の差の激しい時代だった。
我が家など典型的な中流だったけれど、記念写真を撮ったと帰って話すと、知らせてくれれば洋服も考えたのにと母は不満げだった。
いま思うと、それなりの先生のご配慮だったかも。

昭和になった途端に生まれた子どもが一年生になった時の教室の様子が懐かしく、残して置きたくも有って。

転々と居を変えたから、もう近況を知る方は居ないです。
教室のたたずまい、椅子の下にランドセルを入れてたこともハッキリ思い出される。

イジメなんて絶対なかったし、珍しくて毎日クラスメイトの家々に。
不況だったらしいけれど、子どもには平和な時代でした。

二列目の先生の向かって右に写ってるのが私です。

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昭和9年の公立小学校の教室の様子と、その頃の髪型、服装です。
最前列の先生の左の子は勉強がヨクできて仲良し、その左はお父様が京都画壇の日本画家でいらして、女学生になってから教えて戴きにご自宅に通った。
もう 数十年、皆の消息を伺うことも無い。