悲しくて素敵な絵を2020/03/09

松尾たいこさんの素敵な絵本。
愛犬を見送る悲しいお話しだけど、絵の美しさに引込まれました。

見てるうちに、かつての我が家の犬達のことも思い出す。
幼い時から愛犬とは大の仲良しで、特に最後に共に暮らしたシェパードを見送った時の悲しさは忘れられない。
見ながら身につまされて涙が滲んだ。

世の中の風潮で、初めて室内で一緒に暮らしたから家族同様。
甘えん坊で淋しがり。
調教師にお願いしたら、途中から隙を見て逃げ帰って来て、
悪いことしたと隠れてションボリしていたな。

その調教師のかたのお世話で、子どもを産み、可愛がってたのに、みな貰われて行った後は悲しそうだった。

10年一緒に暮らして、最後は夫に抱かれて〜

たいこさんの悲しくて、素敵な絵を見ながらいろいろ想い出に浸りました。

 「きっと そこにいるから」 松尾たいこ著 集英社
                2020年2月29日発行

「早く讀ませて戴いてたのに、ご本の写真を添付しても良いか
 チョッと迷いました。
以前、他の本の出版社に問い合わせて表紙だけならと教わったけれど、世の中の推移に疎いので」

あれから9年が〜2020/03/11

2011年5月28日のブログより
入院して20日ばかり経ち膵炎の治療薬や栄養補給などの点滴で24時間ベッドに寝たきりのときに東日本大震災が起こった。
震度5強だったが避難する術も無くベッドの柵に身を寄せて布団を冠り頭に枕を乗せて踞っていたが不思議と恐怖感はなかった。

若い看護師さんが
「大丈夫ですか? 私ここにいますから」
チラッ見ると入り口でよろけながら踏ん張っておられる。
「私は大丈夫よ!」
と大声で応えたが彼女のプロ精神に感激したなぁ。
自宅に居たらマンションの最上階で一人できっと心細かったと思う。 
後で家族に聞くと落下物や壊れた家具でかなり酷い状態だったとか。
病院に居て良かった。

それから毎日ニュースで被害に遭われた方々や被災地の状況を知りただただ暗澹たる思いだ。 お見舞いだの同情だのの言葉では表せない。

戦争末期に母は直腸がんの手術を大阪の父の勤務していた病院で受けた。 その1週間後に大阪の大空襲があり母は婦長さんに抱き抱えられて防空壕に避難したそうだ。
幸い病院は残ったが辺り一面は焼け野原になり父に助けられながら疎開地の我が家に帰って来たことを思い出す。
テレビ画面の被災地の瓦礫の山を見ていると私のなかでは戦災にあって焼け野原になった昭和20年の情景がだぶってしまう。

比べるつもりはないけれどあの絶望的な惨状から立ち直った日本の底力を信じたい。
被災された方々が1日も早く元の平穏な生活を取り戻されることを心から祈っています。

自分のことに戻るが、地震の影響で余震、停電などで手術への不安が有った。 事実手術中に地震が有ったそうだが停電もせず無事成功して感謝している。
翌朝目が覚めて目に映った窓外の淡い有明の青空に
「ああ 生きている」
忘れられない!
     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

大震災の有った2011年のブログは 2月21日から5月26日まで空白だ。
急性膵炎で夜中に救急車で入院、退院出来たのは5月7日でした。
退院してから当時のことを記したのを、今読み返して感慨ひとしおです。

添付写真は今日久し振りの術後のリンパ治療で病院に行った帰りに見かけたプラムの花。
こちらに来た時からのお馴染みでスッカリ老木になったが、健気に咲いた可愛い花に元気づけられました。

父を見送った日2020/03/13

3月は、卒業式などの別れの月。
一番辛かった想い出は、昭和22年に父を見送ったことだ。
3月13日午後に父は、肺炎で自宅で亡くなった。
その時のことは何度かブログに書いている。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
−父の想い出 2010/03/13

昭和22年の今日父は56歳で亡くなった。
疎開地は粉雪のちらつく寒い小さな農村で、前年にも肺炎を患い、もう1度やると危ないな と自分でも言ってて、随分用心していたのだけど、寒さと栄養不足には勝てなかった。

ペニシリンが有れば死ぬことはなかったと思う。
兄の友人がツテを頼って駐留軍から1本のペニシリンを買って(高かった)駆けつけてくれ、注射したら 高熱がさっと下がった。
医師だった父は身を起して体温計をしげしげと眺めながら「どういうことなのだろう」と感慨深気だった。

翌日からはまた高熱が続いた。 あと何本かのペニシリンがあれば助かったのかも知れない。

その夜は私が隣に布団を敷いて付き添っていた。 夜中に暗い電灯の下で本を読み耽っていたら、父が眼を開けてこちらを見てたらしく、
「何を読んでるのだ?」
「うん ミルトンの失楽園・・」
「面白いか?」
「うん まあね」
本当は夢中になって入り込んでいたのだ。 こんな時に済まない思いでいっぱいになった。
父は黙って天井を眺めていた。 読書好きだったから何かを思い出していたのかもしれない。

翌日の昼過ぎ、母も看護婦さんもいなくて私一人だった時、父が床の間に活けてあった花を持ってきてくれと言った。 顔のそばに持っていくとしげしげと見つめて
「はっきり見えないんだな。 危篤なのかもな」
と苦笑いを浮かべながら呟いた。
私は何を言っていいか判らず、ただ黙って座っていた。

その日の午後3時13分に父は永眠した。
皆が集まって来たなか、私は離れた部屋の柱に顔を当てて号泣した。
何も出来なかった自分を責めた。
前夜、読んでいた「失楽園」は読みかけのまま、その後一度も開いたことがない。

昔のしきたりのある村での葬式が大変なことを父は心配して母の関係の牧師さんお願いしていたらしく、棺は黒いビロードで覆い、白いスイートピーの十字架を飾った。
山手に有る露天の焼き場まで近所の方が、棺を載せた台を持って歩いて行くと 通りかかった数人の駐留軍の兵士が帽子を取って胸に当て悼んでくれた。

最新の技術に興味を持っていた父、勉強家でありながら、オートバイ、テニス、ゴルフを楽しみ、歌舞伎にも詳しかった父、親戚の面倒を全部、背負っていた父・・・・・。
そんな父と大人の会話が出来ないうちに別れがやってきてしまった。
後年、母から父が変わり者の私のことを気にかけていたと聞かされた。

”大丈夫だよ お父さん 私は幸せで人生楽しんでるよ。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 今年も読み返して、いろいろな想いが〜
今回は初めて父の写真を貼付しました。
私が小学4年生の時の正月の家族写真からです。
時代の推移も強く感じます。
一昨日に続いて、過去のブログ引用です。

読書三昧2020/03/15

日の経つのが速い。
一日に出来ることが少なくなったせいだろう。

新しいスマホに振り回されたが ま 何とか電話だけは〜
あとは焦らないでユックリ、弄りながら覚えることにして、
昨日は読みかけの儘だった「風と共に去りぬ」の下巻を久し振りに開いた。

昔からの癖で、読み出したら止まらない。
夕食を挟んで、真夜中まで夢中になったが、下巻の三分の一くらいまで。
細かい字でビッシリ、以前に讀んだ若い時はそんなに感じなかったけれど老眼になったせいかなと苦笑する。

何だか終戦前後の情景とダブったりする場面も。
終戦後、焼け残った大きな家は進駐軍の将校用になって、イロイロ有ったことも思い出した。

もう小説離れしたと思ってたけれど、今でもそれなりに面白く讀めて嬉しく、これからも懐かしい本を讀み直したい。
出来れば、現代の新しい本も〜

添付写真は、近くで見つけた白木蓮が懐かしくて。
去年まで楽しみにしていた、近くの公園の白木蓮満開の情景が懐かしかったです。

懐かしいお仲間に勇気を2020/03/16

明日は、楽しみにしていた仲良し会の日なのに脚が治らなくて伺えない。
残念です。

先日、行かれそうにないって友人に電話したら、今日はいつも会の面倒を見てくださってるお仲間の方からお手紙が。
皆さまの揃われた写真まで戴いて、懐かしさでイッパイになりました。

今は、外出も躊躇われるご時勢で部屋に閉じこもっているから、衰えるいっぽうだ。
うん 易きに流れないで室内でも出来る努力をしよう。
先輩の友人も、しっかり自立されてるのだもの。

希望が湧きました。

添付写真は今朝、窓から見えた遠くの山並みの雪に魅かれて。
滅多に雪の降らない地に育って、昔から雪景色は憧れでした。