哀しい思い出を ― 2020/03/06
夕食後、何気に点けたTVに釘付けになってしまった。
零戦〜搭乗員達が見つめた太平洋戦争〜「後編」
戦争も末期症状を感じだした折に 特攻隊のことがラジオや新聞で報じられ、戦局の厳しさが感じられた。
父は沈痛な面持ちで、日本もココまで来たのかと低く呟いた。
きっと 兄のことが心配だったのだろう。
兄は当時、旧制高校の3年生だった。
医師を継いで欲しいと父は望んでいたようだが、文科に進学。
理科系は大学に残ることが出来たが、文系は20歳になれば軍隊に入らねばならない時代だった。
その時期が迫っていた。
特攻隊の当時の風聞では、志願者は右に一歩出るようにとの指令だったとか。
でも全員が志願したとか。
事実は知らない。
口に出せなかったが暗澹たる気持ちになった。
学徒動員での軍需工場での深夜業も辛かったけれど、小学生の頃一緒に遊んだ男の子達のことも心配だった。
何にんかは中学生の頃に、来校した軍人の講演に感激して少年兵を目指し、親は反対も出来ず、夜秘かに泣いていたとか。
これは母の情報だった。
TVを観て、本人は元よりご家族の哀しみを思う。
気が付いたら、目に涙が滲んでいた。
私はのうのうと92歳まで長生きしてる。
複雑な気持ちになる。
添付写真はアルバムの隅に有った、工場に通っていた時の色褪せた腕章。
零戦〜搭乗員達が見つめた太平洋戦争〜「後編」
戦争も末期症状を感じだした折に 特攻隊のことがラジオや新聞で報じられ、戦局の厳しさが感じられた。
父は沈痛な面持ちで、日本もココまで来たのかと低く呟いた。
きっと 兄のことが心配だったのだろう。
兄は当時、旧制高校の3年生だった。
医師を継いで欲しいと父は望んでいたようだが、文科に進学。
理科系は大学に残ることが出来たが、文系は20歳になれば軍隊に入らねばならない時代だった。
その時期が迫っていた。
特攻隊の当時の風聞では、志願者は右に一歩出るようにとの指令だったとか。
でも全員が志願したとか。
事実は知らない。
口に出せなかったが暗澹たる気持ちになった。
学徒動員での軍需工場での深夜業も辛かったけれど、小学生の頃一緒に遊んだ男の子達のことも心配だった。
何にんかは中学生の頃に、来校した軍人の講演に感激して少年兵を目指し、親は反対も出来ず、夜秘かに泣いていたとか。
これは母の情報だった。
TVを観て、本人は元よりご家族の哀しみを思う。
気が付いたら、目に涙が滲んでいた。
私はのうのうと92歳まで長生きしてる。
複雑な気持ちになる。
添付写真はアルバムの隅に有った、工場に通っていた時の色褪せた腕章。
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