寮の思い出(2)2017/06/03

先日、朝ドラの寮の情景から大昔の寮生活のことが懐かしく思い出されて書いたら、詳しい同窓生の方とお知り合いになれて嬉しかった。

ずっとお若い方だけど、寮の移り変わりなども伺いながら戦時中のことも思い出しました。

ともかく初めて家からも、学校の友達からも離れて知らない環境に。
淋しさと心細さは有ったけれど、それより好奇心でイッパイ。
まったく我ながら薄情だと思いました。

初めての夜は寮の集会室に地方の女学校から見えた方達が、グループごとの集まって泣いてる姿に、自分の薄情さを反省。
阪神間と京都は近くて、よく来てたせいも有ったと自己弁護です。

廊下を挟んでズラッと並んだ6畳の和室に3年生のママさんと二人で生活する。
座卓の勉強机も初めてで丸太町の家具屋さんで新しいのを買って貰ったけれど、昭和19年によく売ってたと後で思った。

夕方の5時頃だったかな、外からチャイムか音楽だったかが流れて来て、
「夕食よ。 食堂に行きましょう」
ママさんに促されて外に出て少し歩くとモダンな洋館?の食堂に皆が入って行く。

広い食堂には6人掛けのテーブルが並んでて、席も決まっていたみたい。
初めての日で、チャントした白い御飯とお魚がついててご馳走でした。

順番に当たったテーブルの一人が食前のお祈りを。
戦局が悪化するとともに貧しい食事になったけれど温かい雰囲気だったなと懐かしいです。

3年生だったママさんは当時のハルピンからいらしてたし、後にグループになった一人は上海から、台湾の土地の方とも仲良しに。
敗戦とともに夫々の置かれた環境も変わったけれど友情には関係無しだった。

何だかイッパイ思い出す。
そのうち書き留めて置こう。忘れないうちに。

添付絵は今日も落ち着かない一日で、大昔のパステル画帳からです。