思い出(阪神風水害)2016/07/05

昭和初期の六甲山
昭和13年7月5日の阪神風水害のことは今もナマナマしく心に焼き付いている。
当時その中心地で体験された谷崎潤一郎氏が「細雪」に書かれていて後年お芝居を観に行って懐かしかった。

当日の想い出はブログを始めた時から何回か書いている。

当時私は小学4年生っだった。
その少し前に住吉川沿いの海から3軒目に引っ越した所だった。
松林の名残か庭に10本余りの松の大木が有り、庭も洋式で花々がイッパイ、私は嬉しかったが家は古くて母は不満だったみたい。

あの日は降り続いた豪雨で小学校の校歌でも
「住吉川の笹流れ〜♪」
それがあの日の朝は橋桁にスレスレくらいの豪流だった。

珍しく母が気遣って学校まで送ってくれたが、避難して来られる方が雨天体操場に溢れ出してそのまま炊き出しのお手伝いをしていた。

前にも書いたが二時間目の工作の授業中に慌ただしく住吉川決壊の報が先生に伝えられた。

でも普通に授業が続いて終ると独りで帰ったが家の前の住吉川に水が流れていない。
上流で土手が決壊して溢れた濁流が住宅街を襲ったと後で知る。

後日、知人宅のお見舞いに行くと一階は天井近くまで土砂で埋まっていた。
もし父が引っ越しの決断してなかったら我が家も同じだったろう。

姉の通っていた女学校は孤立して大変だったみたい。
後年、私がその女学校に進学した時には災害時の土砂で校庭の裏に築山風の洒落た庭園が造られていた。

当時は六甲山の開発が進んで別荘や、ゴルフ場などのせいともいわれたが・・・。
山も海も楽しい地だったなと懐かしい。

その海もスッカリ変ったようだ。

    ーーーーーーー
添付写真の訂正しました。
昨日アップしたケーブルカーは比叡山のでした。
マッタク迂闊でした。
これらの絵はがきは夫の父が若い頃集めていたもので、幼かった頃の思い出が蘇ります。

コメント

_ みーみ ― 2016/07/05 21:26

美海さんこんばんは(^_^)
自然災害の 歴史 街並みも 住むお家も あるものですね。
一生のうちに何度もって方もいらしゃいます
美海さんのお返事が 復活v(^_^v)♪ 嬉しいです。
今日は 半年前に予約した検査の日 結果 聞くのが怖かったです❗️ 変化なし 経過観察に 少しホッとしました。この歳になると 老化の名の下に色々のあって当たり前と思っていても 何処優等生を演じたいものです 笑

_ 美海 ― 2016/07/06 10:01

みーみさんこんにちは(^^)
ご無沙汰してゴメンナサイ(ーー;)
ブログ書くのがヤットだった毎日、気がつけば一ヶ月近くが経ってました。
みーみさんの毎日戴く優しいコメントにどれだけ元気を戴いたことか〜☆
さりげないお心遣いが身に沁みましたぁ(^^)
有り難うございました!!!
お陰さまでもう大丈夫(^^y)
これからもどうぞ宜しくお願いします(^^)♪

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