母校の広報誌に2015/10/24

母校の広報誌に
戦中戦後の3年間お世話になった同志社女子専門学校での生活は今も忘れ難い。
いろいろの意味でその後の人生の基盤になったように思う。

女学校の4年終了で受験したのは無謀だったが幸い入学出来、親元を離れて初めての寮生活。
何もかもが珍しく戦争下でも学生生活は新鮮だった。

たった3年間とは思えない変化の時代を学校の庇護のもとに京都にいたことは幸運です。

なんてことを沁みじみ思い返したのはこの夏に同志社の史料室の方からご連絡を戴き、当時のことの取材のお話しがあったからです。

えっ 私でイイの?
戸惑いながら嬉しさも有りました。

そして8月5日に京都からはるばる訪ねて来てくださったときは、もう京都言葉を伺った途端に故郷に帰ったみたい、初対面なのにすっかり打解けて話が弾む。
青春真っただ中の学生さんとのお話しも楽しかったな。

8月5日のブログに「嬉しいお客さま」と題して書いている。

そして今度、掲載誌を送ってくださって感激新たでした。
ブログに掲載してもいいと仰ってくださったので記念に写真を添付しました。 雰囲気だけですが。
母校のお世話になった皆さま、年寄りの話を聞いてくださった学生さん有り難うございました。