いよいよ師走に2014/12/01

色のハーモニー
近くでフト目にとまった葉の美しさに見入ってしまった。
よく通る道に、こんな樹が有ったかしら。
きっとありふれた緑で気が付かなかったのだろう。

揃ったハート形の形の端正さ、微妙なの色彩ハーモニーに魅せられる。
これだから今の季節っていいな。
地球って素晴らしいな、なんて他所の惑星にも行ったことないのに。

植物に愛着が湧きだしたのは最近だが、小さい時から生物は大好きだった。
動物園は勿論、身じかの小動物や昆虫まで。
もしかして人間に対してより愛着が有ったかも。
モグラや栗鼠の目の愛らしさ、ヘビは恐いけれど美しい。

昨晩のTV「ダーウィンがきた!」はトビの話で懐かしかった。
前いた湘南にはトビがいっぱい群れていた。
小さな漁港だけど漁船が帰ってきて水揚げが始るとそれを狙って
群れが低空飛行している。

行楽に来た人達のお弁当もよく狙われた。
グループで写生に行って食事しながら話に夢中になってるとスイッと黒い影が横切る。
アレッと手を見ると海苔巻きやお握りが無くなってる。

敵ながらアッパレ! 見事な早業だ。
あまり怖くもないし、何だか憎めなくって笑ってしまう。

歳のせいか命に対して敏感になってきたようだ。
小さな虫が時に飛び回ると反射的に叩くが逃げられてホッとしている。
ベランダの醜くなったなった植木も処分するに忍びなくて困ってしまう。

今日から愈々師走です。
朝一ばんに月一回のクリニックで見て頂いて何時ものお薬を頂きながら
「いよいよ高齢になって、しんどいです」
と一言グチってきた。 他所では言えないもの。

ルナアルの「にんじん」を讀んで2014/12/02

「にんじん」岩波文庫
「にんじん」 ルナアル作 岸田国士訳 岩波文庫
を讀み終えたのは昨夜の12時近くだった。

有名な本だ。
幼い時に讀んだから子ども向けに変えられていたのかもしれない。
少なくとも、私には今回讀んだのはあまりに切なかった。
讀む側の年齢の差だけだろうか。

にんじんは何歳くらいだったのだろう。
昔は小学生低学年を思い浮かべていたが、どうももう少し大きいようだ。

親子、兄妹、肉親が慈しみ合うのが当たり前、特別な関係と信じてはきたし
私は少なくとも親の愛情を疑った事は無かった。
恵まれていたと感謝している。
でもにんじんに共感出来る所も有る。

土地柄と時代の違いか、にんじんの母親の心情は理解し難いが、親子でも合う合わないは有って当たり前、愛情とは別だ。

自分を振り返ると幼くても親が考える以上に子どもは適当に対応してきたなと思う。
不満はなく、何より束縛されなかったのが居心地が良かった。
にんじんより上手く立ち回っていたのかもしれない。

にんじんは著者の自画像ではないと云われているが起こった事柄は違っても感情は投影されているだろう。

ともかく いろいろ考えさせられた。

ルナアルの「博物誌」は微かに記憶が有って再読したくなったが岩波文庫にはないようだ。
あ 今調べたら新潮文庫に有ったから図書館で訊いてみよう。

なんとなく気忙しい2014/12/03

バスターミナルにて見上げると
このところ家を空けられなくて、やっと今朝一番に隣街に出掛けた。
気になっていたお月謝などの振込をしたついでに二つの銀行からカレンダーを貰う。
一年分が一枚に印刷されているからキッチンとパソコンの前に毎年貼って予定や記念日を色分けして印をつける。

そう、昨日は義姉の命日で近くのホームセンターに榊を求めにいったけれど奇麗なのがなかったな。
昭和35年に42歳の若さで亡くなった。
私が結婚した頃、一年程離れにいらしたから親しみが有る。

でもあとの大半のお位牌の方は義母から話を聞いただけで会った事が無いから、お命日を印して置かないとウッカリ忘れそう。

久し振りに街に出てストアで買い物をイッパイ、カートに詰めて、バスの乗り降りが大変だったが、まだ大丈夫かなと自信がつく。

何時ものクセでカメラを持参したが撮るものもなく、バスターミナルで待ってる間に向かい側の大きな樹に止まってる鳩を望遠で撮った。
そのうちカラスも上のほうの枝に。

鳩は必ず群れているが、カラスは自分勝手な感じがする。
と書いた途端に、大昔、京都の御所の傍の学校の寮生だった頃、夕暮れになるとカラスの大群が大きな樹々に帰ってくるのを観たっけ。 ねぐらだったようだ。

さあ 今週はアトリエ、土曜日には二ヶ月毎の病院に行く日。来週には市の健康検査・・。
まあ あとは焦らずボチボチやろう。

あっ 今メールが図書館から。
昨日頼んだルナアルの「博物誌」だろう。 嬉しい。

紅葉を観ながら2014/12/04

10年前も
先日ふと寄ったリサイクルセンターでちょと変ったワゴンを見つけた。
一番上の天板が無いから、イーゼルの傍に置いて筆などを置くのに便利そうと予約してたのをやっと今朝取りに行く。
カートに乗せれば持って帰れる大きさだ。

マンションを出ると近くのモミジが真っ赤に鮮やかだ。

ああ あの日から10年経ったな。
入院する夫をこのモミジの前で撮った。

もうここに帰ってくることはないと夫も私も口には出さないが解っていた。
君のもと云われてカメラを渡して撮ってもらったな。

末期癌と病院で告げられてから、朝夕毎日電動車椅子で散歩した。
気分の良い日は途中で彼は歩き、私が替わりに車椅子を運転したりして。

午後は毎日点滴をしに来てもらって、この穏やかな日々が続く事だけを願っていた。
余命3ヶ月と宣告されてお互い口には出さないが覚悟していたが、雪が解け、サクラの満開を愛で、四季の景色を味わって、紅葉のさなかに自宅療養の限界が来た。

54年間連れ添って、あんなに穏やかにお互いの事を思いあう情を素直に表せたのは初めてだったかもしれない。
悔いる事は多いけれど。それでもせめてもの慰めだ。
陰で支えてくれた家族の温かさが身に沁みた。

今月の30日に10周忌を迎える。

アトリエへ2014/12/05

女性像(油彩)3回目 2014.12.05
アトリエに行く日は大抵お天気に恵まれる。
今日も大気は冷たいが抜け通るような青空に心まで澄みきった感じ。

今日仕上げて残った次回にスケッチしたいなと欲張ってたのに、3時間一生懸命描いたが、まだまだイメージに程遠い。
難しいなぁ。
毎回、同じ事を書いてるみたい。

まあ 来週の今年最後の授業に頑張ろう。

例によってお仲間と昼食を一緒して話が弾む。
独り暮らしになって、こういう一刻に心癒され元気を頂く事の有り難さを思う。

買い物もせず真っすぐ帰って来たのにもう外は真っ暗だ。

さあ 明日もちょっと遠い病院の二ヶ月検診だ。
朝が早い。
それでも 病院に独りで通える事を感謝すべきなのだろう。