素敵な本を2014/09/11

ナローボート ペインティング
素晴らしい本を戴いた。
「イギリスの運河を彩る ばらと城」(ROSES & CASTLES)
ナローボート ペインティング   北出千波 日本ヴォーグ社

私はこういう方面に疎いから上手く紹介出来ないけれど、
ただ ただ作品の美しさに魅せられてしまった。

ブリキの水差しや如雨露(じょうろ)に描かれてるのを見ると戦前の子どもの頃を思い出して懐かしい。
無論このような美しいペインティングはなされていなかったけれど。

テーブル、小椅子、ボックスなどに描かれた絵にイギリスの伝統を感じる。
戴いたことに感謝しながらただただ眺めて酔っています。

今日は朝から延び延びになっていたベランダの植木の始末をお願いして溜っていた植木鉢やプランターの廃棄に取り組んだ。
荒仕事は苦にならないほうなのにマンション生活10年で衰えたな。

いや やっぱり歳のせいだろう。
もう少し残っているが今日はここまで。
それでゆっくり戴いた本を見て癒されました。

明日はアトリエ、3回で人物だから水彩にしようかな。
水張りしなくては。

秋晴れにも恵まれて2014/09/12

9月の女性像(油彩)F15 一回目
アトリエ行きの日なのに珍しく朝寝坊した。
6時40分に目覚ましをセットしてたのに目が覚めたら7時だ。
一瞬 今日の予定を考える。
「あっ アトリエじゃん」

ま 40分有れば何とかなるだろうと朝食もシッカリ摂って持ち物と家を点検して何時もの電車に間に合った。
最近は寝る前に総て支度するようにしてるから助かった。
若い時には考えもしなかったな。

アトリエでは前回のヌードクロッキーのときのモデルさんの着衣像。
昨日は水彩でと考えていたけれど、やっぱり油彩にした。

とても素敵なモデルさんだからイイ絵に仕上げたい。
二時間半、夢中に描いたけれどまだまだイメージには程遠いです。

終わった後、藤沢の市民ギャラリーで開催中の「大人のアトリエ展」に誘って頂いてお仲間とご一緒させてもらった。
20数年前には創作人形を習いになどで足繁く通った街だ。
懐かしかった。
中華レストランでのお食事も美味しくてゆっくりお喋りも楽しむ。

展覧会は公募展とはまた一味違う、それそれの方の描くことを楽しまれてる思いが伝わってきて良い勉強をさせて頂いた。
帰宅したら直ぐに日が暮れたが充実した一日だった。

さあ 明日からは当分、マンションの改装に伴う雑用で忙しい日が続きそうだ。

古い絵2014/09/13

漁港の生簀
以前住んでいた家から海辺までは歩いて5分もかからなかった。
小さな漁港で裏手に回ると細い橋の向こうにトタン屋根のついた生簀が眺められた。

引っ越した当時、珍しくて毎日のように浜辺を散歩したが人けの無いこの場所が気に入ってスケッチをよくしたものだ。

市主催の絵画教室に少し通ってみたが馴染めず一人で描いてた頃のもの。
稚拙だけど潮風に吹かれながら静かだった穏やかな日々を思い出す。
何故か夫が気に入ってくれて書斎にしていた8畳の床の間にずう〜っと掛けてくれていた。

今ごろ添付する気になったのは、たまたま最近長く絵を描かれてこられたベテランの方とお話しした時に
「昔描いた絵も捨て難いのよね」 と。
絵にはその時々の思いがあり、描いた時の想い出もイッパイだ。

引っ越しの時に記念に写真を撮った後、大半を貰って頂いたり処分したけれど、この絵は何となく持って来て今もアトリエ兼物置きの壁に掛けている。

秋の夕日が落ちる頃だったかな。
時の流れは二度と還らないと柄にない憶いに耽りながら20数年前に描いた絵を眺めた。

忙しい日が続く2014/09/14

秋色の花
日曜日で改装工事もお休み、久々にベランダに洗濯物を干してから買い物兼散歩に出掛ける。
抜けるような青空だ。

家々の前の植え込みの花々も紫が多くなって秋を感じる。
暑い間、家に閉じこもり勝ちだったツケか、脚が弱ったみたいだ。
せいぜい小さな秋を見つけに用事が無くても出来るだけ毎日歩かなくては。

不要になったプランターや植木鉢、ゴムホースなどを一掃すべく市の指定のゴミ袋の大きいのを買って来て、雑物整理ももう一息だ。

それにしても10年経つと確実に体力は衰えてる。
しかし、反面87歳になってもまだまだヤレルジャンと少し自信も持てた。
強がることも悲観することもない、自分の身体に聞きながら出来ることはまだ多い。
時間はかかるけど。

今週は予定が毎日で忙しくなりそうだ。

「李香蘭」の想い出2014/09/15

華やかに
朝日新聞の一面に
「山口淑子さん死去」の記事が。
1940年の「李香蘭」時代のお若い写真も載っていて昔を憶いだす。

小学生だった私には憧れの女優さんだったな。
「蘇州夜曲」「イエライシャン(夜来香)」のレコード家に有ったかどうかまでは覚えてないが巷に流れていた。

その頃珍しく家族揃って元町を歩いていたのは支那料理(今の中華街)で食事をした後だったのだろうか、
これから母と姉は洋画を観に行くと、父とと兄はニュース映画へ。
私は当然父について行くものと思われていたのに珍しく
「洋画が観たい」と言った。

母と姉は話題の洋画を観るつもりが私には早熟過ぎると、李香蘭の映画に変更して、帰宅してから姉にぼやかれた。
もう世界文学全集で恋愛小説なんてイヤになる程讀んでいたからどうってこと無いのに母はまだ子どもだと思っていたらしい。

銀幕に大写しになった「李香蘭」は美しく魅力的だった。
内容は覚えていないが時代を反映していて子ども心にも詰まらなかった。
これなら父と一緒に文化映画を観たほうが良かったと少し後悔したが、今思えばスクリーンいっぱいの彼女の若い姿を観られて良かった。

彼女が日本人だと知ったのは敗戦後だ。
「山口淑子」の名での舞台を観に行った覚えが有る。
すっかり日本人で戦前の面影とは変っていた。

お金も食べるものも無いのに片っ端から映画、演劇を観に行ってたなと懐かしい。

確実に時代が移り変わり、色々なことの終焉を沁みじみ感じさせられる。