終戦の日2014/08/15

日没か夜明けか?
11時50分からの「戦没者追悼式」武道館よりの中継を見て黙祷を捧げる。
年々、式典に対する感慨は薄れていくようで、頭の中では69年前の玉音放送を暑い日射しの中庭に集まって聞いたときの情景が蘇っていた。

18歳になったばかりの少女は、何も聞き取れなかった内容がやっと伝えられた時に敗戦の事実をどう受け止めて良いのか解らず真夏の青い空と蝉時雨のなかで茫然としていた。
口惜しさも敵愾心もなく、ただ疲れていた。

大人達も無口だった。
きっとこれからのことをあれこれ想像して不安だったのだろう。

夜になって灯火管制のため、電燈を被っていた黒い布を外し窓を開け放った時に
 「戦争が終わった。生き残った。」
の実感が湧いてきた。
と同時に学徒出陣で軍隊にいる兄のこと、犠牲になった従兄弟ののことなどに想いが行く。

その夜書いた日記は千切られている。
その3ページに何を綴ったのかは覚えが無い。

親の庇護のもとにいる安心感は強かった。
それにその年頃は順応性もあり、日が経つにつれて新しい価値観に夢中になって行く。

ただこの歳になってからのほうが戦争で犠牲になられた方々のことが悼ましい。
どうして戦争をしなければならなかったのか、幼いときに意味も解らず遭遇して来たことを本に解答を求めるが本当のことは解らない。

ただ戦争は厭だ。若い世代の為に念じるのみだ。