お見合いした日を思い出して2014/07/01

昭和25年に
一昨年も去年も書いている、今日はお見合い記念日だ。
昭和25年だったな。
3年前に亡くなった父の友人や、母の知り合いが心配して下さって10回はお見合いしているが踏み切れなかった。

母が結婚した姉のことを心配して嫁ぎ先の北海道に行っている留守に母の友人からお話を頂いて3歳違いの兄(前年恋愛結婚していた)と二人だけで京都の家に行く。

お母さまが素敵な方だった。なにか魅き合うものが有ったみたい。
後で義母が後押しして下さった事を聞いたが、終生可愛がって下さった。
私も、そろそろ新しい生活を始めたくなっていた。

54年間、経済的にはマアマアだったけれど楽しかったな。
恋愛結婚でなかった分、徐々に無くてはならない人になっていった。 
幸運だった。

あのとき、立派なビワを出されて
「いただき方の正式なマナー知らない。どうしよう」
と戸惑ったことを昨日の事のように覚えている。

添付写真はお話が決まってから夫の家族と庭で撮ったもの。
昭和25年はこんな感じでした。
28歳と23歳です。

母の事を思う2014/07/02

思わず見蕩れた
「重いのを買って帰られるの大変でしょう」と優しいお心遣いの西瓜を頂いてホロットした。
今年初めての西瓜の赤を見ると夏の喜びが込み上げる。

友人に電話して、西瓜を持ってお茶しに押しかけたらベランダのピンクがかった白い花が眼に飛び込む。 満開だ。
嬉しくて写真を撮りまくった。
名前は彼女も知らないと云う。
すぐに萎れてしまうのだそうで本当にラッキーだった。

お家でゆっくりお話しさせてもらうのは久し振りで、甘い西瓜と彼女のお手製のゼリーを頂きながら楽しい時間だった。
人との繋がりの有り難さが年齢と共に深く心に沁みる。

今日は母を思い出す日。彼女の誕生日だった。
57歳で亡くなった母に何も恩返し出来なかった悔いがず〜っと残っている。
子どもの頃から一歩距離を置いた感じの母子だったけれど、結婚してから、たまにハンカチにイニシャルを刺繍したり、ちょっとしたスーツ地を誕生祝いに送っただけでとても喜んでくれた。

私が、もう少し成熟するまで生きていてくれたら、もっと母を理解し、娘らしい事も出来だのにと後悔する事ばかりだ。

いまは高齢化社会の親の介護が真剣な問題になっているのだが。

読書2014/07/03

読書
先日、丸善に先生の書かれた記事が載っている「美術の窓」を買いに寄った折に興味の有った本の新聞広告も切り抜いて持参した。
新刊コーナーに並んでるだろうと思ったのに見当たらないから例によって店員さんに訊く。

調べて奥のほうに案内されて、見たら立派な学術書で私には無理。
人類の類人猿以前の進化に興味惹かれたのだが方向が違ったようで、案内して下さった方には悪かったけれど諦めた。

そこで眼に入ったのが
「生きて死ぬ私」 茂木健一郎 ちくま文庫 2006年5月発行
彼の著書は親しみ易い。
それに 脳の話は昔から宇宙より興味が有る。

昨日の午後、気になっていた片付けも半分くらい終って疲れたのでベッドに寝ころんで読み出したら止まらない。
漠然と思って来た事が肯定されて嬉しかった。
断定出来る事はなにもないけれど、感じて来た事を共有出来た安心感が有った。

食事などの他は久し振りに熱中して読み終わったら零時を過ぎていたが、充足感が有ったな。
暫く読書から離れていたせいも有るかも。

さあ 今日は残りの片付けをしよう。
書類だからチョット厄介だが早く整理して絵も描きたい。

梅雨空のような日2014/07/04

CGで
何となく気持ちの弾まない日ってあるものだ。
こんな日は身体を動かすに限る。
先週に探し物で散らかりっ放しのアトリエ兼物置にしている部屋を片付けることにした。

30年前に観た演劇のパンフレットや歌舞伎の番付などなど・・・。
役者さんの若い時の写真が懐かしいが殆ど開くことは無い。

もう役に立たない歴史的価値だけのパソコンの参考書の数々。
想い出の品ってホント厄介なものだ。

写真の山、何てことないのまでイッパイだ。

20数年前ネットで知り合った定年後の男性の方が
「子どもの写真やビデオを夢中になって撮って編集もしたけれど、大きくなった息子達は全然興味ないのですよね。虚しいものです。 処分しようかと・・・」
今になってあの方の気持ちが解るようになった。

気分転換にと云っては失礼だが、人恋しくなって京都の寮で一緒だったクラスメートに久々の電話をした。
「あ 貴女のテレビ観たわよ」
「えっ どうして?」
「偶然、予告見たからその日はバッチリ。貴女元気そうね」
それから話が弾んで、
「東京の支部会や展覧会一緒に観に行こうよ」と。
嬉しくて今朝のメランコリーは何だったのだろうなんて思う。

元気づいて、iPadのサポートセンターに電話して、近くのお店を訊くと表参道に新しくオープンしたとのことだった。
そのうちアプリと部品を買いたいし、直接触って教えて貰いたいから行ってみよう。

さっき電話したクラスメートとの会話で彼女は
「最近はタクシーよく利用するのよ」
「私、変にケチで笑われるのだけど勿体ない気がして・・」
「だって あと何年? 今遣りたいことしたいもの。
 私も他のことではケチよ」
成る程と納得、私もその気になった。

さぁ 残った片付けをして部屋を奇麗にしよう。

片付けしてると2014/07/05

想い出の景色
昨晩、アトリエ兼物置の雑多な書類を整理していたら古い原稿が出て来た。
ふう〜 懐かしいな。 もう10数年前になるだろう。

電車かバスに「沿線を題材にしたシナリオ募集」といった広告が貼られていた。
う〜ん面白そう、ダメモトじゃん。

当選するなど絶対無理と判っていたけれど、姉が60歳からのシナリオ教室に通っていて電話で楽しそうに話をしてくれていた。
姉は子どもの頃から画才も文才も豊かでいろんなとこに入選している。

結婚してからは家庭的に恵まれても、そちらの才能を発揮する機会は無かったが私が教室の存在を知って電話したらもう通っていると云う。
嬉しかったな。

2年程して新人賞の佳作に選ばれたと冊子を送って来てくれた。
優秀賞1点、佳作2点で選考委員の方々の好評は概ね好意的だった。

今、取り出して見ると便箋が一枚挟まっている。
送って来てくれた時のものだ。
10年前に亡くなった姉の筆跡が懐かしい。
「貴女だけが応援してくれて感謝してます・・・」
自分では出来が不満だったらしいことも。
晩年になってやっと判り合え仲良くなった姉妹だった。

それで脚本に親しみが有って書いてみたくなったのだろう。
「脚本の書き方」みたいな本を買い、家人の使ってないワープロを貰って取り組んだ。
つくづく無鉄砲で閑だったと思う。

新鮮で面白かったが締め切り日の前日まで頑張ったが間に合わず断念。
結果はワカッテルから残念どころかコレで良かったとサッパリした記憶が有る。
何を遣っても中途半端な人間だ。

その原稿が出て来て読み出したら面白くて(本人だけ)読みふけってしまった。
最後の数ページは手書きのままで笑ってしまう。
題名は「夕映えの町で」 海辺の古い家が舞台で私は認知症のおばあさん役だ。

部屋の片付けは終りそうにない。