昭和の風景(元旦)2014/01/03

2014年正月
箱根駅伝を観ながら今日で最後の祝い膳とお雑煮を独りで食す。
もう来年からは家族が集まる元旦だけで良いと思いながら子どもの頃の正月のお情景が浮かんだ。

昭和一桁のころの想い出だ。
元旦だけは6時に起きて枕元に揃えて置いた晴れ着を着る。
下着からすべておニュウで年の改まったことを子ども心に感じる。
客間の座敷に父は大島の着物を母は紋付の他所行きを着て大きな火鉢に手をかざしながら姉と兄と私が入っていくと、にこやかに迎えてくれる。
大きな座卓を囲んで坐ると
「おめでとうございます」
お屠蘇は年齢が若い者順だからいつも私が一番だ。
父が注いでくれる杯を神妙に頂く。 味醂で甘かった。

次はお年玉を父に厳めしく名前をばれて賞状を貰うみたいに受け取った。
至って庶民的な上下の関係のない家風なのに正月だけは皆でお芝居しているみたいでそれがまた楽しかった。
お年玉の中身は年齢の数だけの金額だ。
10歳になってやっと一円だったと思う。
そのうちに年齢プラス何円かの台がつくようになった。

お正月料理は子ども達は自分専用のお重箱に詰めてもらっている。
お雑煮は父の生家の伝統で寒ブリと根菜たっぷりの味噌仕立てに茹でた丸餅が入っていた。
両親は美味しいと自慢していたが私は苦手だったな。
味噌汁が好きでない上に、大きな餅を咽に詰まらせては大騒動していた。
結婚してから東京風のシンプルな鶏の清まし汁になったときは嬉しかった。

食事が済むと子ども達は夫々の学校に行く。
外に出るとどの家も門口に日の丸の旗がはためいていた。
黒い縞の長い竹竿の先に金色の玉を差し込み、横幅1メートルの日の丸の国旗が結びつけられている。
道に向かって斜めに立てられ町中に特別の日っていう改まった気分が満ちていた。

小学校では広い講堂に学年毎に入場して長椅子にこしかけると講壇の奥の正面の小さな扉が開いていて白いレース状の幕も途中まで引き上げられてご真影が。  厳かな雰囲気だった。
壇上の脇には見事な松の盆栽が飾られている。
講壇の下の左右には先生方が正装して腰掛けられ、音楽の先生がグランドピアノに向かっていて伴奏をされた。

今思い起こすと小さな町立の小学校なのに、鉄筋3階の風格のある立派な学校だった。
新開地で大阪、神戸の富裕層の家と有名な蔵元も多かったから町の財政は豊かだったらしい。

式が済むと子ども達は解放されて運動場を走り回って遊んだ。
午後には誘い合わせて町中を歩き回り、立派な門松が置かれたお屋敷は門も玄関も開け放されていて子ども達は玄関の名刺入れに自分の名刺を置いて用意されているお菓子包みを頂く。
 毎年、暮れに自分用の小さな金縁の名刺を作って貰っていた。

町の舗装していないベージュ色の大通りは年始回りの正装した大人が行き交っていた。
子どもは年始回りの真似事に飽きると家の前の道で羽子板を打ち合い、空き地で凧揚げに興じたものだ。

二日目からは親にくっついて親戚回りが始る。

ーーーーー
添付写真は昨日の日の出。
珍しく早く目覚めて外を見ると明るくなりかけていたので待機していたが建物が遮って7時10分頃にやっと現れた。