八月六日2013/08/06

広島を訪れた時に
8月6日は忘れられない日、心が痛む日、二度と繰り返してはならない日。
68年経った今、その思いは益々強くなる。
同じ人間同士、個々に会えば判り合える仲間なのにどうして未だに争いが有って核兵器が存在するの?
平和利用にも私は懐疑的だ。

古いスケッチが残っていた。
毎年のようにこの日の思いを書いて来た古いブログを今読み返したところだ。
もう30年近い歳月が流れたが、夫が定年退職して二人で国内旅行を楽しんでいた頃に広島を訪れた。
何を差し置いても行きたかった平和記念公園にあまり気乗りのしない夫を強引に誘ってホテルから歩いた。
航空工学を専攻して軍の依託学生だった夫には複雑な思いが有ったのだろう。
早朝の静けさのなかでただ一人、年配の男性が手を合わせてられる姿が印象的だった。

毎年この日にはTVで式典を見て黙祷する。
その度に訪れた日の光景が眼に浮かび懐かしくも複雑な思いだ。

終ってから整形外科にヒアルロン酸の膝の注射とリハビリに出掛けたが医院の夏休みが始る前なので2時間たっぷり待たされた。
届いたばかりの「選択」の8月号を持参したから退屈はしなかったけれど、世界情勢の色々な記事を讀んで自分の無知を自覚する。
独り暮らししてると世情に疎くなるものだ。

100円ショップで事務用品などを、安売りのストアで食料品をどっさり買って平和の有り難さを体感した。

旧の七夕に2013/08/07

真夏の夢
カレンダー時計を見たら大きく7日と。
子どもの頃、関西では七夕は8月7日だった。

  ♬ ささの葉 サ〜ラサラ
     のきばに ゆれる〜
 
    五色(ごしき)の たんざく
     わたしが 書いた 〜

夏休みが始まり解放感で浮き浮きしてる時期だ。
お茶の間の卓袱台の上に色紙や短冊を積み重ねて母を中心に姉と兄と私、思い思いに飾るモノを作る。
私が一番好きだったのは大きめの色紙を三角錐状に折って細かい切り目を入れて長く伸ばすと網状になるもの。 名前は忘れた。
短冊に願い事を書くと兄が読み上げて冷やかすのがイヤで隠していた。
母が一番楽しそうで器用に色々のモノを作っていたな。

男衆さんが持って来てくれる大きな笹にイッパイ結びつけて、縁側の外の端っこの軒下に飾って夜を待つ。
暗くなって涼風が吹き抜ける頃には空いっぱいに星が煌めく。

   ♬ お星さま キラキラ
      空から 見てる〜
 
縁側に腰掛けて眺めていると、果てしない宇宙の広がりが幼心にも感じられて美しさより何だか怖かった。

あの一家団欒(父は加わらなかったが)の光景は何年続いたかな。
6年上の姉も男の子の兄も興味を無くしたのか、日中戦争が始る頃にはまだ時局のせいとも考えられないが、我が家の恒例行事はなくなってしまった。
末っ子は何時でも背伸びして上に合わせて来たなと思う。

硝子戸をいっぱいに開け放って縁側に腰掛けてると涼風が気持ち良く、部屋の灯りを消せば住宅街でも夜空がくっきり見えた。
団扇と蚊取り線香もつきものだったな。
犬のエリとテスが足元に擦り寄って一緒に空を眺めたりしながら踞っていた。

昭和一桁頃の、ありふれた情景を ふ〜っと思いだした。

マンションからは周囲の灯りが多くて星は殆ど見えないから、
添付写真は全然関係無しの真昼の夢のようなカワイイ?怪物の赤ちゃんを・・。

暑い!2013/08/08

公園にて 夾竹桃
八月八日って末広がりでイイこと有りそうって思ったけれど、ただ蒸し暑いだけ、熱中症になったり成りかけたって話を近所の友人から聞いて、今日は家でぼ〜っとしている。

先日公園で撮った紅白の夾竹桃を眺めていて「夾竹桃の花咲けば」の本の題名が浮かんだ。
佐藤紅緑の少年少女向きの小説で、もう知ってる方も少ないと思う。
彼の小説は、貧しい納豆売りの少年だとか教育的で敬遠してたな。
息子さんのサトウハチローはモダンで好きだった。
今は女学校の先輩で当時颯爽としてられた愛子さんのご本を懐かしく讀む。

「夾竹桃の花咲けば」のほうは名前しか覚えてなくて調べたら
少女倶楽部に昭和5年7月号から昭和6年6月号まで連載された少女小説とのこと。
私が少女倶楽部を買って貰ったのは昭和8年頃からだから後で単行本で讀んだのだろう。
内容はすっかり忘れているのに、夾竹桃の花を観ると反射的にこの題名が浮かんで幼かった頃の阪神間の景色を思いだす。

2〜3年後に「少女の友」を買って貰うようになって嬉しかったな。
世界が全然違う。 中原淳一の絵、川端康成の少女小説、宝塚の話題・・・。
とともに兄の少年倶楽部の江戸川乱歩にも夢中だった。

昭和10年前後って、私には楽しかった想い出に満ちている。
公立小学校では貧富の差は子どもでも感じたがイジメなんて絶対なかった。
気を遣うことも無くただ楽しく遊び回っていた。
体罰なんて論外、親からも殆ど叱られた記憶がない。

鈍感だったのかな とイジメ問題を聞く度に現在のこの恵まれた環境の中で 何故? と思ってしまう。

何もしないうちに夕方になって一日損した気分だが、ま こんな日が有ってもいいだろう。

ああ 長崎 68年2013/08/09

黄金に輝く
後、30分もすれば長崎平和記念式典の中継が始る。
一度も行ったことの無い地であり、広島ほど当時の記憶は残っていない。
ただ意表を突かれた大きな記念像には想い入れがある。
どうしてキリスト教が初めて広がった長崎が選ばれたのって素朴な疑問も当時感じた。

一発で多くの一般の市民を悲惨な死に追いやることを知りながら投下した戦闘員はどんな気持ちだったのだろう。
戦争とはそういうものだと言ってしまえばそれまでだ。
殺すか殺されるか、勝つか負けるか。
大義名分はどちらにも誰にも有る。

私は何となく科学信奉のほうだから人類が進化し、謎に満ちて美しくも魅力有る宇宙のなかで生きている喜びを全世界の人間と共有し、限り有る命を日々の喜びで満たしたい。

平和であること、仲良くいられることが最大の願いだ。

あ もうテレビ中継が始る。
11時2分には黙祷を捧げよう。

水彩画 挑戦中2013/08/10

夏の果物(水彩)
熱中症になっては馬鹿らしいから閉じ篭ってると、これはこれでストレス溜るものだ。
一日、誰とも喋らなくて気侭に本を読める生活って若い時は夢だったのに。

少しでも納得のいく絵が描けるようになりたくて冷蔵庫の果物を総動員して水彩で描いた。
相変わらず自分の思い描くイメージからは遠いが焦りは禁物だ。
飾り棚に置いてそれとなく眺めていたら、寝る前になって急に真っ赤に熟したスモモを描き足したくなった。

後から焦って描き足すと苦い思いをすることは何度も経験しているが ま ダメもと 勉強だとゴソゴソと画材を出して描く。

今朝 恐る恐る見たら少し画面が締まった感じ。
時間が有るのだからもっと丁寧な描写も交えれば良かったかな。

朝 家人から訪ねて来てくれるって電話もらって待っている。
今度会うのは月末の花火大会と思っていたからすごく嬉しい。