讀書2013/03/06

桜広場の莟はまだ固い
図書館で借りてきた本は大抵2〜3日で讀んでしまうのに
「虚構内存在 筒井康隆と新しい<生>の次元」藤田直哉 作品社
は手子摺った。 忙しかったのも有るけれど読み始めても理解出来ない言葉の羅列だ。
筒井康隆氏だけの作品の分析、解説が分厚い本なってることも私には驚きだった。
返却日があと三日に迫っているのには焦った。
でも三分の一くらい讀むうちに何となく解ってきて、後半馴染みの作品が出てきたのも有って興味津々。
止まらなくなって深夜まで讀み耽って頭がぼ〜っとしている。

何となく理解出来たというか新しい視野が開けた程度だがもう一度彼の作品を読み返したくなった。
大事に仕舞ってある「パプリカ」を見たら1993年9月発行だった。
随分昔になった。
切り抜きを続けていた新聞連載の「聖痕」も後一週間で終るらしい。

今日は大分春めいて日射しが温かい。
午後は図書館に本を返しに行こう。 返却期限の日に返すなんて始めてだ。

添付のスケッチは五日ほど前に散歩の途中で描いたモノ。
あとひと月もしないうちに桜満開に一変するはずだ。

春近し2013/03/07

春はそこまで
どんより曇った朝は物憂い気分だ。
それでも気になっていたダウンジャケットを二枚、洗濯機で別々に洗ってみた。
普段着だからダメモトって感じで化繊仕様で試したら白が奇麗に蘇った。
ベージュにオレンジの配色のもスッキリして近所の買い物くらいには着られそうだ。

ちょっと元気になってスケッチブック抱えて散歩に出掛ける。
少し歩くと汗ばむ陽気だ。
公園で小半時、水彩で描いたがマンネリだな。

朝食をとりながら見た録画のゴッホの絵を思い出した。
弟のテオの子どもが生まれるのを喜んで描いたアンズの花の絵。
日本画の梅と桜を連想するようでバックの空の青が珍しかった。
生前には報われる事の無かったゴッホとテオの生涯に思いを馳せる。
岩波文庫の「ゴッホの手紙 上・中・下」が忘れられない。

もう少し身体に自信がついたら少し遠出して、新鮮な景色をスケッチしてみたいな。
これから菜の花畑なんて素敵だろうなと憧れる。
瑞泉寺の梅も盛りかしら。

衛生観念2013/03/08

ビオラ
夏目漱石の「三四郎」を何十年振りかで開いた。
馴染みは有るけれど細かい所は忘れている。
冒頭で上京する汽車の中で弁当を食べ終って
「この時三四郎は空になった弁当の折を力一杯に窓から放り出した。」
と書かれているのに吃驚、全然記憶に無かったということは私の子どもの頃は珍しい風景ではなかったのかな。
ゴミを道端に捨てるようなことはしなかったけれど、幼児に溝で小用をさせている光景は珍しく無かったし、黒い板塀には小さな鳥居が点々と貼付けられていた。
酒に酔った男性が用を足すのを防ぐための知恵だった。
駅には何箇所も痰壷が備え付けられ、至る所で痰を吐くのは日本人の悪癖と言われていた。

空っ風が吹くと舗装されていない道路を紙くずやゴミが舞っていたし、牛や馬が荷車を引いていたから糞も堂々と落ちていた。
畑の隅には藁葺きの屋根の肥溜めがあって時々子どもが落っこちて大騒ぎに成る。
家の中は掃除が行き届いて確かに奇麗好きの国民性だったけれど今のような衛生観念は行き届いてなかったと思う。

父は医師の職業柄、店頭で買った果物はよく洗う事、菜っ葉類は根元の3㎝は切り落として捨てる事(下肥を使用していたから回虫予防)手の消毒、古本は病院で消毒してからなど 衛生面だけは厳しかった。
お祭りには50銭玉を貰っても飲食物はご法度だったからそういう懐かしい想い出はない。
紙芝居屋さんが回ってきたり駄菓子屋さんが有る古い土地柄でもなかったから淋しいと思った事は無いけれど古本屋さんにだけは親に内緒で買いに行っていた。

戦後生まれの世代、特に若い人達の清潔志向には感心して、何気なくしていることにハッと反省させられる事がある。
とくに戦中、戦後の不潔な環境と怪しげな飲食物を摂りながらながら生き残った人間はそれなりの免疫力が付いているのかも知れないと思わないでもない。

ま 帰宅時のうがいと手洗い、消費期限を守る事だけは身に付いた。

書き出しはマナーについてだったのに話が逸れてしまった。

静かな日2013/03/09

小さな里の風景を
夕べは
「笑犬楼の知恵 筒井康隆トークエッセー」 金の星社
を讀む。
朝日新聞に連載されて10年も前に出版された物だが、昭和初期のことも書かれていて懐かしくも有り、現在のことについても新しい視点を貰う。
確たる信念も無く当たり障りなく生きている自分をちょっと振り返った。
字が大きくて気軽に読了したが奥は深そう。

今朝は、図書館からのメールで受け取りに行くと
「朝のガスパール」 筒井康隆  朝日新聞社
平成4年8月発行の文字を見ると昔になったな。

夫の影響でパソコンを弄るようになりお絵描きをして雑誌に投稿したりしていた縁で新しく出来たネットに参加した頃を思い出す。
どの会議室も熱気に溢れていてオフや催しにも参加させて戴いた懐かしい想い出がいっぱいだ。

もう20年も前の事で記憶違いもあるかもしれないが当時ネットの熱い書き込みを眼にしながら、この実験的な新しい小説を興奮しながら讀んだ。
どれだけ覚えているかな。 讀むのがチョット怖い気もする。

夫のパソコン好きのお陰で還暦を機にパソコン始めて本当に良かった。
あれから25年、パソコンで繋がりながらも夫々好きな世界で遊び、それでも共通の話題に事欠かなかった。
今はもう独りになってしまったけれど大きな楽しみを教えてくれたことに感謝している。

いつかそんな想い出を書いて置きたいなと思っている。

朝 癖になった散歩で少し脇道を登ったら、せせらぎのほとりに水仙が咲いている情景に嬉しくなった。

東京大空襲を思い出して2013/03/10

金魚? 鯉?
午後、先日誂えた眼鏡を受け取りにバス停で待っていたら東の空が薄茶色になっていてすぐに西の空まで染まってきた。
ただの黄砂なら良いけれど気持ち悪くてマスクをする。
生暖かい風だ。

今日は三月十日。
戦前は「陸軍記念日」(日露戦争の奉天城に入城した日)
そして 1945年の「東京大空襲」
 亡くなった方は10万人と伝えられている。
 東京35区の3分の1以上が焼失。
当時私は京都にいたが避難して来られた方達に惨状を伺った。
風化させてはいけない、当時を知る者は犠牲になった方々のことを忘れてはいけないとあらためて思った。
その後大阪、神戸、日本各地に・・・。
B29とけたたましい空襲警報のサイレンの音響は生涯忘れられないだろう。

バスの中ではそんなことを考えていたが眼鏡店で新しい眼鏡を試して満足。
ストアに寄って食料品をどっさり買い込んだ。
戦争中を思えば夢のような生活だ。
生き残って長生きして良かったと感謝しながらも心の奥には犠牲になられた同年輩の方々に忸怩たる気持ちがあるのも事実だ。

近くの水たまりで小さな金魚が群れていた。
水温むって感じ。 微笑ましくてカメラを向けたら一散に逃げ惑って陰に隠れようとする。