スケペンのことなど2012/12/01

金閣寺山門の紅葉
昨日京都へ行く話をしたせいか夜、金閣寺の紅葉のスケッチを出して想い出に耽った。
先祖代々のお墓参りに東京に移住してからも行ったがことに夫が定年になってからは何かと足が向いた。
私にとって第一の故郷は神戸、でもそれより縁が深いのは京都かな。

このスケッチをした時は確か夫は大学のクラス会か何かで別行動、私は疎水でスケッチして夕方、金閣寺の山門前で落ち合ってお墓参りに行ったような記憶だけど想い出はゴッチャになってるかも。
金閣寺の参道の楓は早春の爽やかな緑も秋の深い紅も美しい。
もちろん池のほとりの紅葉も素敵だ。

スケッチに関連してなどだけど昨日画材屋さんで急に思い付いて
「スケッチ用のペン有りますか?」
「ああ スケペンですね」
幾種類か試し書きをさせて貰ってペン先の太めなのを買った。
「数年前に他所で買ったのはすぐに描けなくなったのですが・・・」
「それって暫く使わないとペン先が固まって駄目になるんです」一週間使わないとそうなると教わって驚いた。
熱湯に暫く漬けると直る事も有るって聞いて、先ほどやってみた。
カリグラフィー用のペン先の形の違う二本で今度買ったのよりずっと高かったと思う。
不安定だが何とか使えるようになって嬉しくて造花の花束をケント紙にスケッチしてみたが慣れなくて思うようには描けないがチョット希望が湧いた。
矢張り専門家に聞いてみるものだ。
求めたのは大きなとこだったけれど文具売場で質問すると電話で問い合わせてたからあまり詳しい方ではなかったみたい。
説明書は英語だったし。

また課題がひとつ増えた。 時間が欲しい。

義姉の命日2012/12/02

12月にはpoinsettia
12月2日は夫の姉の命日だ。
お位牌の裏には 昭和35年12月2日 四十一歳 と記されている。
子どもの折に風邪がもとで心臓を病んだそうで医師に嫁いだが相当悪いと判って跡継ぎが望めないと離婚になったと聞いた。
そういう時代だったのだろうが私は結婚してから聞いて義姉に同情した。
聡明で自分の考えを貫く強い方だった。
役所に勤めて我々が結婚したすぐ後に同僚の方と結婚して2年ばかり一緒に暮らした。
離れだったから炊事も別で私も勤めていて話する機会は少なかったが、たまたま二人だけになったときはお茶を飲みながら色々な事を教えて貰った。
勤めの関係か政治の話が多かったな。
義姉夫婦が一緒で京都のしきたりに慣れない私は心丈夫だった。

彼女の訃報の電報を受け取ったのは夫の転勤で東京に来て半年後、まだ社宅住まいしていた。
夫が電報を握りしめて茫然とした表情だったのが忘れられない。
子どもが小さかった私と老齢の義母はお葬式に行けなかったが後で話を聞くと亡くなった日は職場の年末の大掃除で帰宅して疲れたからと寝て
「なんだかガスの臭いがする」
と呟いたのが最後だったそうだ。
心臓が悪いのに黙ってこらえておられたのかしら と。

41歳は若過ぎる。
神棚の位牌の前に写真をかざって沁みじみ眺めた。

朝、お供えの榊を買いに行ったら小さなポインセチアが目についたので久しぶりに写生した。
毎日、一枚描きたいと思うのだが難しい。

師走2012/12/03

名前は?
いよいよ師走、何となく気忙しい。
思い立って美容院に行った。
ここに移って来てから暫くは通っていたのだがその内、家人にして貰ったら家で楽しくお喋りしながらの気の置けない快適さにすっかり甘えてしまうようになっていた。
今月はお互い忙しくて会えないかもしれないので近くの美容院でカットだけして貰うつもり出掛けたがついでにパーマもお願いする。

何となく気疲れするけれど大きな鏡に写る美容師さんの細かい手作業を眺めているとつくづく大変だなと思った。
今更のように遠くから来て面倒見てくれる彼女に感謝する。

サッパリしたところでバスで隣街まで。
月初めの所用と買い物を早々に済まして帰宅したらもう2時近くだ。

遅い昼食を済ましてパソコンを開いたら同窓会のメールに読みたかった内容の本の出版お知らせが載っていた。
よく見ると非売品と書かれているので電話で問い合わせたら思いがけない事に
「郵送しますから住所を・・・」
嬉しかったな。 聞いて良かった。

「忙中閑あり」
今夜は溜まっている本をじっくり楽しもう。
どこかから何時でも閑じゃんって声が聞こえて来そうだ。

クッキーを焼く2012/12/04

想い出の紅葉
今年の紅葉は枯れ葉色の薄茶が混じって見えるが夏日の続いた影響だろうか。
先日京都の紅葉を観て来た方々に
「すごっく奇麗で感激した!」
「あまり例年の美しさがなくて・・・」
正反対の感想を伺ったばかりだ。
場所と時季でビミョウに違うのかもしれない。

8年前の今日、この燃えるように赤い葉を背景に夫の写真を撮った。
「今度は僕が撮るよ」
って私の写真も残っている。
入院した日だ。
もう自宅に帰る事は無いと二人とも解っていた。
今も思い返して悔いる事ばかりで12月はもの思う事が多い月だ。

気分転換にクッキーを焼いた。
ココナッツマカロンとチョコを入れたドロップクッキー。
以前はよく作ったのに3年ぶりくらいかな。
メモを一々確かめながら下拵えし、焼き上げたけど出来映えはもう一つだ。
形は悪いし甘過ぎる。 以前はレシピより砂糖を減らしていたのを後で思いだした。

スイートポテトを作りたくなった。
シフォンケーキも懐かしい。
手作りは昔のように気軽に人様には差し上げられないけれど頭も身体も動かして気持ちが明るくなった。

珈琲でもいれて夫の写真に供えよう。

悲しい訃報2012/12/05

無題
連ドラを見終わってチャンネルを変えたら中村勘三郎さんが。
厭な予感が当たって今朝亡くなられたとの報道だった。
ご病気は快方に向かわれて次の公演に意欲をしめされていたのに。
ほんとうに残念だ。

昔、お父様の勘三郎さんの飄々とした感じが大好きでよく通った。
そのご長男の勘九郎さんはうちの息子と同い年だから特に親近感があった。
小さい時はテレビ(お芝居でなく)に出ても勝手に走り回る腕白ぶりが微笑ましかった。
お姉さんの波野久里子さんが苦笑してらした。
「ベビーギャング」の配役がぴったりだったな。

歌舞伎界の子育ての上手さを実感した。
役者としても立派に成人して新風も吹き込み、跡継ぎも育て上げた。
それにしても早過ぎる。
歌舞伎界の方は皆さんご長寿と思い込んでいたのに。
無理しても円熟した彼の舞台をもっともっと観に行けば良かったと悔まれてならない。

確か本が有った筈と書棚を捜したら
「中村勘三郎 楽屋ばなし」関容子 文春文庫
これはお父さんの方だが当時勘九郎さんの息子さん達の初舞台の記事に可愛かった二人の桃太郎姿を観たときのことを思いだした。
もう一冊は
「役者の青春 中村勘九郎」 講談社文庫
表紙には若い勘九郎さんの笑顔がはじけている。
お父様の勘三郎を襲名されたが私には未だに勘九郎さんのイメージが強い。
過ぎ去る歳月の無情が心にささった。