義父の命日2012/08/19

あの夏にも百日紅は・・
義父の命日だったのを目が覚めてから気付いた。
朝市に行き、家人の所に顔をだして話し込み、帰りにストアで食料を買って帰宅した途端に榊のことを思い出す。

洗米、お水。お酒とお塩は供えたが榊がなくては申し訳ない。
かんかん照りの中を今度はホームセンターに行く。
店員さんが丁度榊を並べていたので
「新しいのが有って良かったぁ。 今日は無理かと・・」
「いえ あまり新しくなくて」
そばに寄って選ぼうとしたら茶色や乾いた葉が混ざっていて選ぶのに苦労した。
「この陽気では仕方ないですよね」
済まなさそうな顔の若い女店員さんに呟いた。
帰って榊の下を切って形を整えていたら中国産のラベルが付いているのに吃驚。
それでも神棚にお供えしたら緑が瑞々しくて神棚が明るくなった。
昔のように絶やさずお供えしなくてはと反省。

お位牌の裏には昭和二十年八月十九日 五十九歳 と記されている。
終戦直後で大変だったろう。
夫に似ているけれど明治の男性らしい厳つい面影を眺めながら義母から聞いたことをいろいろ思い出した。
一度お会いして話を伺いたかったな。
私の父は敗戦後二年も経たずに56歳で逝った。
戦争で多くの若い方々が犠牲になったが、初老の人にも厳しい世相で今のように長生きする人は少なかった。

八十代、九十代で独り暮らしの珍しく無い世の中を有り難いと思いつつ、認知症の方や介護の話を身近に聞くと他人事とは思えないが妙案も浮かばない。