風水害の思い出2012/07/05

六甲山の岩石
今日7月5日は昭和13年の阪神風水害の有った日でその時の思い出は2009年のブログに書いている。
その頃の六甲山の絵はがきは裏六甲の写真で(日本語は右から讀む)海に面したほうはゴルフ場や別荘などで開発が進んでいた。
乱開発のせいで大規模な土砂崩れが起きたと当時言われたものだが、写真に写っているような大きな岩石、それも特産の花崗岩の固い塊と土砂が麓の住宅街を襲った。

我が家は海の近くの川沿いの少し高くなっている地だったので何の被害も無かったが知人や友達のなかには天井近くまで土砂で埋まった家も多かった。
小学校の雨天体操場は避難して来た方々で埋まり、母は炊き出しを手伝っていた。
それでも授業を普通に受けていたのが不思議な気がする。
その後、学校の前の空き地には仮設住宅が建てられ一年近く住んでる人が見られたが大方の家は割合早く元に戻ったようだ。

姉の通っていた女学校は山に近かったから恐ろしかったようだ。
この年の夏休みは後片付けのため毎日登校していた。
2年後に私がその女学校に入学した時は校舎の裏庭がゆるいスロープの山のようになって樹々や花の咲く植え込みで散歩道も作られて休み時間の憩いの場になっていた。
風水害の時の土砂がもたらしたものだ。
親友と並んで坐っていた時の芝の感触が蘇る。
その母校も数十年前に移転してそちらへはまだ一度も行ったことが無い。

長寿の会などで必ず歌う「青い山脈」は六甲山を観て創られたという事を近年になって何かで知って嬉しかった。