初めて就職した頃2012/06/13

梅雨入りどきの公園の緑
就職出来なくて自棄になった殺人事件などを聞くと索漠たる想いになる。 
特異な事件なのだろうが今の若い人達には厳しい世の中なのだろうか。

戦前のサラリーマンの家庭では女性が勤めることは殆ど無くて、女学校を卒業したら、活け花、お茶、料理など所謂花嫁修業をしてお見合い写真が方々から持ち込まれて二十歳過ぎには結婚するのが普通だった。
母の時代より少し遅くなったが二十三歳までが適齢期って感じだったな。

戦後になって働く女性も増えて来たが、父が亡くなって家計は苦しかっただろうに私は洋裁学校に通い、後は遊んでいても母も兄も就職の話はしなかった。
疎開先の農村に居着いたまま、閑なので図書館に通っているうちに館長さんと親しくなり「うちで働かないか」と言ってくださった。
図書司書になりたい希望もあって、母にも兄にも相談せず「宜しくお願いします」と即答したら
「一応、公務員の試験を受けてください」
丁度その時期だったので言われるままに受験した。
学校でも録に勉強していなかったけれど卒業後二年近く経って数学など全然出来なかったのに合格した。
試験運だけは不思議とついている。

これで好きな本に囲まれて居られると喜んだのに現実は甘くなかった。
各部所の力関係だろうか、違う課に配属されて人生は大きく変わった。 
図書館長さんが随分掛け合って下さった姿に今も感謝している。

あの頃の地方公務員の給料は安かったが人数だけは多くて、高等小学校を出たばかりの子が給仕としてお茶汲みや掃除などの雑用をしてくれていた。
パソコンの無い時代、人手は沢山要ったし単純作業も多かったから少数精鋭の必要は無かったように思う。
安い給料で助け合っていた感じだ。
良くも悪くも人生勉強をさせて貰った。
60年前と今では隔世の感は有るけれど。

結婚するまでの二年足らずの間だったが楽しかった想い出が多い。
今の若い人達を見ていて大昔の事を思い出した。

添付絵は一昨日、教室で描いた水彩スケッチ。