昭和という時代2012/03/07

パンとコーヒーミル
「久世光彦の世界」を讀んでいると副題に「昭和の幻影」とあるだけに昭和前半の景色がまざまざと浮かび上がってくる。
記憶の底に沈んでいた作家の名前や小説の題名が蘇ってきた。
その懐かしい名の方々も多く亡くなられている。
久世光彦さんは昭和十年生まれで私は昭和二年生まれだから時代に微妙な差はあるが育った家庭環境は似ているところも多いと感じた。

私の昭和初期の風景は明るい光に溢れている。
これは阪神間の風土のせいだろう。
浜辺も舗装されていない道も運動場も白っぽいベージュ色に満ちていた。
住宅用に開発された地は歴史が浅いだけに和洋折衷の家が多く、純洋館も珍しくなかった。
フランスパンや珈琲やケーキも西洋料理も日常に馴染んで来ていたけれど、お茶の間の情景は「寺内貫太郎・・」の世界だった。
長火鉢に折り畳める卓袱台、大きな柱時計は毎日ゼンマイを巻かなければ止まってしまう。
茶箪笥の上のラジオはまだ新しい文明の利器だった。
7時のニュースの時間は父の為に子ども達は静かにしていた。
食事の時、ねえや(お手伝いさん)は卓袱台から離れた所に箱膳を置いて皆の食事の世話をしながら食べていた。
夏だけは台所の続きの板の間でテーブルと椅子で食事するのが外国映画のようで嬉しかった。

電気とガスだけは自由に使えたけれど電気製品は皆無だった。電話の有る家も少なくて持っている家は玄関に「参番」とか電話番号の木札を掛けてたりしていた。
蓄音機だって手回しだから段々間延びしてくると慌ててハンドルを差し込んで回す。 ま それも面白かったけれど。

久世光彦さんの家にもお父様の集めた文学全集がいろいろ並んでいて幼いときからそれに親しんだと書かれていて同じだと思った。 
円本が流行った時代と書かれていて 当時そういうことを父も話していたなと思いだす。
外国文学全集、日本文学全集、漱石全集、徳富蘆花、羽仁もと子、児童文学、聖書物語など 思いだすだけでも書棚にはそういう全集が詰まっていた。
あ 分厚い近松全集もあって、十代後半に歌舞伎にハマった頃になって讀んだ。
ルビが振ってあったから子どもにも讀めたと。 それも同じ。
親は忙しいから讀まなくて子どもは閑だから貪欲に全部讀んだものだ。
TVやゲーム器がなかったせいもあるだろう。勉強も強制されなかったし。

この本を読んで昭和を思い返し、いいこともイッパイ有ったなという気分になれた。

眼科医院へ2012/03/08

ピンク
どんよりと薄暗い日だけど思い切って眼科医院に出掛けた。
電車に乗るのは今年になって二回目くらいかな。
もうそろそろ少しは遠出を試みなくてはと思うのだが臆病だ。

眼科はいつも混んでいるが回転も速い。
検査のあと先生の診察を受けメモしてきた症状と眼鏡店ではまだ安定してないから作れないと言われた話をすると、順調で心配は無いけれど月に一回診察を続けてから眼鏡店に指示を出しましょうという結論になった。
一安心する。
でも眼鏡の新調は大分先のことになりそうだ。

パソコンは自粛しているが読書は止められない。
家に閉じこもっていると目を酷使することばかりやっている。
早く暖かくなって花が咲き、新緑が芽吹いたらスケッチに行きたいな。

駅の傍のショッピングセンターは品数が多くて安い。
重さを考えながらあれこれ買い物をして帰った。
長年の主婦の習性は消えないものだ。

布団2012/03/09

南天の赤い実
TVで布団綿の打ち直しの職人技の話を見た。
今では珍しいことらしい。
見ていて子どもの頃の情景が蘇った。

秋が深まり肌寒くなるとハトロン紙でふわっと巻かれた打ち直しの綿がお店から届く。
夏の終わりに頼んで置いたものだろう。
学校から帰ると玄関に山のように積まれていたりする。
布団は中綿を出した後ほどいて洗い、伸子張りにして仕立て直してある。
古い銘仙の着物などを布団に仕立て直すこともあった。

布団作りは大仕事でわくわくしながら廊下から眺めたものだ。
手拭で姉さんかぶりをし割烹着の母とねえやの姿が甲斐甲斐しかった。
座敷の真ん中に裏返した布団がわを置き、分厚く膨らんだ反物状の布団綿を先ず大きくはみ出した状態に敷き詰めて行く。
次は布団の大きさに敷き詰め向きを変えて何段も。
それを一番下の綿で布団の大きさに包むともう一段仕上げの綿を並べる。
布団がわをひっくり返すのが大変だが何度見ても面白かった。
横を縫い、適当な間隔でズレ止めに太い刺繍糸のよなもので止めて仕上がりだ。
家族6人の布団の仕立て直しは大変だったろうけれどふかふかして気持ち良く幸せ感満点だった。

見よう見まねで私も結婚後暫くはやった覚えが有るが昔のように毎年はしなかった。
そのうち寝具はお店で買うようになり、ベッドになってからはマットで分厚い綿の敷き布団は使わなくなった。
掛け布団も何時の頃からか軽い羽布団に。
来客用に残していた敷き布団も8年前の引っ越しの時にとうとう処分した。

想い出の情景は長閑で温かいけれど主婦は大変で社会進出なんて出来る環境ではなかった。
どちらが幸せなのだろうと考えるが一概には判断出来ない。

添付の写真、少し季節遅れだけど赤い実のなる南天は昭和初期の家のお手洗いの横には必ず植えられていた。

ちょっと風邪気味2012/03/10

静物 果物
少し春めいて暖かくなったと思ったらまた冬に逆戻りだ。
この季節は苦手で案の定風邪気味で咽が痛い。
明日が休診日なので用心してクリニックに行った。
これくらいの症状、ホントは自力で治した方がいいのだが今飲んでいる薬との関係も有るかもしれないから市販の風邪薬を飲むのが躊躇われる。

今日は混んでいた。
一時間半くらい待って
「風邪のような症状ですが熱はないです。」
症状を手短かに話すとすぐにお薬を説明しながら処方して下さった。
こういう時 ホームドクターはほんとうに有り難い。
性格まで飲み込んで下さってるから。

今日、明日は自重していよう。
月曜日には絵画教室に行って今度こそ絵を仕上げたい。
つくづく呑気な身分になったものだと思う。

あの日から一年2012/03/11

悲しみ
あの大地震から一年が経った。
追悼式典出席の皆様とともに黙祷を捧げる。
午後2時46分 忘れられない日が一日増えた。
個人的なことは除いても
 7月5日、12月8日、3月10日、 8月6日
 8月15日、1月17日、まだ有る そして3月11日
どういう日か知らない方も多いと思う。
私も大正の関東大震災のときは産まれていない。

無惨にも断ち切られた未来、そこには喜びや希望が有った筈なのにと思うと身が切られるように悼ましいが残された方々の哀しみと生活も如何ばかりだろうか。

去年の今日は入院していて動けずベッドの手すりの横に布団を被って踞っていた。
手術の最中でなくて幸運だった。
家に独りいたら怖かったと思う。
後で聞くと家具の散乱は酷い状態で木製の椅子も落下物で壊れたそうだ。
二ヶ月ほどして退院したときは家人がすっかり奇麗に片付けてくれていたのだ。
今頃になって大変だったろうなと沁みじみ感謝している。
私ってホント気が付くのが遅いんだから。