寒かった3月2012/03/18

暗い道
父が亡くなった昭和22年の3月は寒かった。
疎開した農村で父は敗戦後職を辞して医院を開業したばかりだった。
土地の方は喜んで下さったようだが深夜の往診は応えたようで結局風邪から肺炎が命取りになった。
残された我々は昔ながらの土地の風習に馴染めなくて広い座敷の真ん中の乏しい炭火の炬燵に母と大学生だった兄と3人、無言で夫々の思いにふけっていた。
インフレや預金封鎖などなど、これからの生活を考えると不安ばかりで寒さが身にこたえる。
阪神間の暖かい風土に慣れた身には粉雪が舞い山おろしの風がきつく暗いのが辛かった。
豊かになった今なら歴史の有る落ち着いたたたずまいを楽しめるのだろうが。

思い返すと母は強かった。
伯母たちからはお嬢さん育ちで派手で遊んでばかりと思われていた母が地域の未亡人会を立ち上げ、友の会の輪を広げ、教会にも熱心に通った。
暫くすると我が家には絶えず人が集まり笑い声がするようになる。
経済的には苦しかったと思うが私に働けとは言わず、洋裁学校にも通わせてくれた。
その後、私が勤めたのは自分の意志で家に給料の一部を入れる考えはなかった。 随分勝手だったな。
どうやって家計をやりくりしていたのだろう。

兄は1年後に卒業、就職してすぐに結婚して出て行った。
母と二人だけで過ごした数年は私にとっては母と初めて近しくなれ独占出来た思いの貴重な日々だった。

父の亡くなったあの3月の不安で寒くて暗かった日々は忘れられないが明るい未来もあること、人びとの繋がりのお陰と感謝する。