敗戦後の日々2012/01/07

公園にて
お正月気分もあっという間に消えて寒い日が続く。
「カーネーション」は終戦から2ヶ月ほど経った世相を映していてあの頃のことを思い出させてくれる。
長い年月が経って風化している部分も多いけれど皆が懸命に生きていた姿は焼き付いている。
助けは来ないのだから満員の列車に辛うじて乗り農家を訪ねて持参した着物などと食糧を交換してもらった。
それも取り締まりに遇えば没収される。
闇市に行けば何でもあったが日々値段は高騰して買うのは大変だった。
戦地や大陸から帰還した人達で街は多くの人が溢れていたが栄養失調でどす黒く皆痩せていて汚れていた。
進駐軍の艶やかな肌と清潔な服装に敗戦の事実を痛感させられたものだ。

それでも空襲警報に怯えた日々に比べれば天国のようだった。
両親が苦労して護ってくれたのだろうと今頃になって感謝するが当時は若さの特権で初めて経験した自由に有頂天で飢えもお洒落出来ないことも苦にならなかった。
闇成金って言葉は聞いたが、ま 皆が困っていたから平等感みたいなものもあった。
年々良くなって行く実感と希望が有って今思い返せばどん底は数年だったように思う。

平等感と言ったけれど戦災に遭う遭わない、身内が戦死された方、沖縄の悲劇、原爆のことを今考えると当時は未熟でよく解っていなかった。

想い出の人形2012/01/08

御所人形
松の内も近年は7日までらしいので玄関飾りを取り外す。
子どもの頃に比べるとお正月気分も短くなった。
クリスマスムードは12月にならないうちから街の飾り付けをしているからそちらの方が長いって言うのも可笑しな気もする。

せめて神棚の小さな鏡餅は15日までお供えしておこうかな。
掛け軸と御所人形の万歳も年に1度のことだからもう少し飾って眺めたい。
62年前に結婚した時に既に有ったこの人形が好きだった。
桐の箱に書かれた文字は達筆過ぎて人形の名前も作者も讀めなくて勝手に私は御所人形の万歳と呼んでいた。
義母に由来を聞いておけば良かったとつくづく後悔する。
もうその頃から箱も人形もぼろぼろで胡粉も剥げて所々欠けていたりした。

中年になって人形作りにのめりこんでいた頃にこの人形にも薄い和紙を何枚も重ねて顔や衣装の模様も書き込んですっかり奇麗にした。
自分では生き返らせたようで結構気に入ったのだけど後年考えれば折角の年代物を台無しにしたような気がしないでもない。
あの汚いままの方が値打ちがあったのかも。
でも酷かったものな。
由来を知ってて嘆く人はもう誰もいなくなった。
複雑な想いもふくめてもう暫く飾っておこう。

パーマネントの想い出2012/01/10

昭和22年頃のパーマネント
連ドラを毎朝観ていると当時のことをいろいろ思い出す。
パーマネントは昭和初期に流行りだして母の世代の憧れだった。
庶民にも普及しだしてから数年後戦局が厳しくなると非国民扱いになる。
着物の袖丈を詰め、モンペ強制の時代だ。
食糧難と空襲と重労働でお洒落を考える余裕もなかった。

敗戦後の何時頃からパーマが復活したのだろうとドラマを観ながら当時の記憶をさぐる。
秋になって授業が再開してどれぐらい経っていただろうか、パーマを当てたいという要望が起こって代表が職員室に交渉に行き一度はダメと言われたのを粘って許可された。
何でもいいから自由が欲しくて嬉しかった覚えがある。
寒い日に美容院の看板も出ていないしもた屋の薄暗い部屋で初めてパーマを掛けてもらった。
若い女の子でこちらの方が指図され叱られながら熱い器具に我慢しながらの初体験の結果は期待したほどのものではなかったけれどそれから2〜3年の間に美容院も技術もお洒落も格段に進歩し普及して行った。

あの頃はやたらとカールが多くてサザエさんのように頭の上にカールを並べるのも流行っていた。(今は見られないですね)
昔の写真を見ながら当時を思い出して描いてみました。

友有りて2012/01/11

山茶花のように
「何だか気分が悪くって
判らなくなって気がついたら病院だったの
介護の日で不審に思って家族に連絡してくれたけれど
ロックしててカギだけで開けられないから大変だったのよ
うん 肺炎
自覚症状全然なかった」
一ヶ月の入院で帰って来た友の話

「食事、全然作ってないわよ
缶詰の流動食だけ
炊事の手間省けて簡単よ」
もう1年以上続けてるはずの友の話

生きてるんだから楽しまなくちゃ勿体ないじゃない
ピアノも弾くけど折り紙折ったりジクソーパズルや素独など
退屈しないわよ
と屈託なさそうに話す友

「仏陀の言葉」良かったわよ
ニーチェ? そう あれ暗いよね
他にも今 話題の本のあれこれを
言いたいこと言える友との話

同じ時代のなかで違った人生を歩んで来た友人達
みんな それぞれ 強いな
出来る範囲は独りでしっかり生きている友
夫を支えて生きている友

去年のクラス会 病後で欠席したら
「ごめんね 会いに行けなくて」
関西の友から年賀が届いた
みなのためになることばかりを考えてる友の言葉は
温かく身に沁みた

買い物2012/01/12

冬枯れの季節
冷気が頬を切る様な寒さだ。
美しい青空の下の外気を吸うと少し元気が出て隣街に買い物に出掛けた。
昔から季節の変わり目のぼや〜とした天候は苦手で真夏と真冬が好きな体質は変わっていないようだ。

先ず書店に飛び込んで「ビブリア古書堂の事件手帳2」を捜したが売り切れ。
次の書店の受付で頼むと暫く待たされたが捜して来てくれた。
流石大きいところは違うと感心したがよく売れているらしい。

次は暮れから欲しいと思っていた手編み風のカーディガンを捜す。
病気してから体型が変わり好みも微妙に変化したみたい。
洋装店、衣服を扱っているお店は本当に沢山有るのだけど、ぴったりくるものが見つからない。
フツウでちょっぴりお洒落で着心地がいいのって難しい注文なのかな。
デパートの中のお店を十数店覗いてやっとまあまあのを求めた。
これ以上無駄な衣服は増やしたくないから慎重になったなあと自分でも可笑しくなってしまう。

何時もの食料品だけと違う買い物で心も少し弾んだ。
帰りのバス停で鮮やかな赤いドレスの女性と隣り合わせ
「ステキな赤、お似合いですね」
「白い髪に可笑しいでしょ」
「髪が白いからいいんですよ」
同じ年頃の他愛無いお喋りも楽しかった。
この方となら話が合いそうと判断出来るのは歳の功かな。
それとも只厚かましくなってるだけ?