受験勉強2012/01/30

遠い山並み
今日も寒かった。
和室の炬燵にもぐりこんでいたら女学校4年生だった頃の事を思い出した。 畳からの連想かしら。
6畳の一部屋貰っていたが勉強机と小さな本棚だけで夜は押し入れから布団を引っ張りだすという殺風景なものだった。
暖房は炭火を入れた鉄製の蓋の有る足温器一つだけで毛布を被って本を読んでいたっけ。
昭和初期には自分の部屋があるだけましだったと感謝していた。

女学校4年生の冬、生まれて初めて受験勉強をした。
前にも書いたが女学校は私の年度から学力テストが無くなり内申と面接だけになったので助かったのだ。
女学校も5年生しか上級学校は受けられなかったのがまたまた文部省の新しい方針で4年生も受けられるようになって両親は喜んだ。
父は戦争の危惧、母は1年でも早く卒業すれば婚期に遅れないからという理由らしかった。

それで毛布を引っ被って好きな本の替わりに受験勉強をするハメになった。
通信簿の無い学校だから本当に好きなことばかりしてきている。
おまけに化学などはまだろくに習ってない。
参考書片手に先生に質問に行ったら
「そんな難しい問題はでませんよ」
と相手にして戴けなかった。
女子が進学することに熱心ではない時代だった。

あの冬の2ヶ月ほどの受験勉強は1度だけの体験だった。
ダメもとって気が周囲にもあったから悲壮感は無く新しい経験が楽しかった記憶が残っている。

運が強いというか奇跡的に受かってしまったけれど真の学力の無さは入学してから苦労することに。
しかし女学校で5年に進学した友達はすぐに学徒動員で軍需工場に行き、私も9ヶ月勉強しただけで終戦までグラインダーで軍用機の部品を削っていた。