ミシンの想い出など2011/11/09

昭和2年の赤ちゃん
NHKの朝の連ドラ「カーネーション」が面白い。
主人公は私より13〜4歳上だけど昭和初期の風俗を私の幼いときの記憶とだぶらせて観ている。

物心ついてからの私の周囲では子どもは洋服で着物姿はお正月と夜店での浴衣を見かけるくらいだった。
地域差は有ったのかも知れない。
でも小学校の参観に見える母親は皆着物姿で洋装で見える方は凄くモダンで目立ったものだ。

町に洋装店が1軒だけ有ってお正月が近づくと姉と私の洋服を注文する。 生地見本を見ながら母と姉が相談してデザインも選んでいたが私は全然興味はなかった。
姉と母は結構お洒落が好きだったと思う。

普段着は母が縫ってくれた。
手先の器用だった母が茶の間いっぱいに生地を広げ型紙を当てて裁断し卓袱台の上に置いたミシンで縫っていた姿を思い出す。
そう 我が家のミシンは手回しの卓上型でドイツ製と聞いたけど友達の家の足踏み式のミシンが羨ましかったな。
下着も白いキャラコでシュミーズやパンティもこのミシンで仕立てたのが多かった。
小学生になった頃は中原淳一の人気が凄くて「少女の友」の付録の彼のスタイルブックを参考に母と姉が相談しながら仕立てて楽しそうだった。

このミシンは丈夫で戦後、電動式に改造して私が洋裁学校に通っていた時にも使ってスーツなどを仕立てたものだ。
木製のドーム状のケースに入っていたミシンが母の姿とともに懐かしく想いだされる。

秋を訪ねて2011/11/10

秋深し
朝食を終えたらやたらに眠くて横になってハッと気がついたら10時過ぎ、お陰で疲れがとれたようだ。
曇っていた空も陽が覗いて来ている。
散歩に行こう!
秋景色を訪ねてみたくなってカメラと携帯だけもって出かけた。
1年前までは気軽に歩き回っていた公園も何ヶ月ものご無沙汰だ。

ハナミズキの並木はもう落ち葉のほうが目立つ。
楓はまだ緑のほうが多くて、この辺はやっぱり12月にならないと無理みたい。
途中垣根の山茶花のピンクが可憐で何枚も写真を撮った。
以前に桜の葉の赤が素敵だったことを思い出して桜広場まで足を伸ばしたが殆どが散っていて少しガッカリする。

ここまでくれば銀杏並木だ。
予想通りまだ半分程度だったが中に美しく黄葉してる樹もあって嬉しくなった。
途中の陸橋から車道を俯瞰すると植え込みが真っ赤なラインを描いていた。
やっぱり秋だなぁ。
見上げると赤い実がたわわに生っていたり、足元には黄色いツワブキの花が。

秋の風物に誘われて気がついたら1時間も歩いてしまったが心地よい疲労感で気持ちが明るくなった。
薄い色のサングラスを掛けていたから忘れていたけれど白内障の手術で景色も奇麗に見えたのだと思う。

昭和初期の服装の想い出2011/11/12

散歩の途中で
朝の連ドラ「カーネーション」に触発されて昭和初期の服装をあれこれ考えていたら去年「昭和初期の服装」についてブログに書いてたことを思い出した。
 2010.9/8 〜 9/11。
読み返してあらためて感慨に耽る。 書いて置くっていいな。
ブログってやっぱり自分が一番楽しい。
つられてまた色んなことを思い出した。

昭和10年代にはデパートでも子供服が誂えられてオーバーコートを作ってもらった時のことだ。
白っぽいグレーに淡いチェックの柄で大きな襟のデザインも子ども心に素敵だと嬉しかった。
仮縫いはなくて1週間程して受け取りに行き試着すると丈が短い。
採寸の時に7と書いたのを1と読み違えたのだ。
母が交渉していたが結局裾の折り返しをいっぱいに伸ばすことで決着した。
小学2年生くらいの伸び盛りですぐに着られなくなって町の洋裁店でハーフコートに仕立て直してもらって愛用したが、子ども心にも元のデザインが好きだったのにと残念でこの歳になってまで執念深く覚えている。

簡単に既製服を試着しては選べる現代では考えられないと思うがあの頃は洋服作るってことは大変なことで少ない数を大事に着たものだ。

(添付の写真の赤い実は先日の散歩途中で見かけて「赤い実 秋」で検索したらヒマラヤトキワサンザシが一番良く似てたけどそうなのかしら)

裁縫の授業2011/11/14

ツワブキ
私が小学生だった頃は裁縫の授業が4年生から始まったと思う。
無論、女の子だけで男子は工作で羨ましかったな。
後年に洋裁や編み物や人形作りにのめりこんだくせに子どもの時は「お裁縫」というだけで拒否反応だった。
何となく男女の差別がイヤだったのかも知れない。

運針から始まる。 長い晒木綿の赤い線に沿って縫って行く。
初めての作品は雑巾だった。
学年が進むと浴衣も習った気がする。
気がするというのは自分で縫い上げたことがなかったからだ。
授業中は誤摩化して家に帰ると夜そっとお手伝いさんの部屋に行って縫ってもらい仕上げてもらった。
だいの仲良しだったけど疲れているのに甘えて申し訳なかったなと大人になってからは後悔した。
洋裁も少し有って幼児服や下着を縫った覚えがある。
親戚の女の子のワンピースのデザインを考えるのが楽しくてこれはちゃんと自分で仕上げた。
学校にミシンはなくて手縫いだったと記憶している。

女学校でも和裁はついてまわったが最後まで苦手だった。
母も教材を用意しながら
「着物は仕立て屋さんに頼めばいいのよ」
と面倒くさそうに言う始末だから好きになる訳が無い。
和の良さが全然解っていなかったな。
今では和裁に長けた方は尊敬に値するのだけど。
残念なことをしたと悔いが残る。

佐藤愛子さんの本2011/11/16

静物(油彩)
先日新聞の広告で佐藤愛子さんの
 「老兵の進軍ラッパ」 文春文庫
を見かけて買い物に出た折に買って来た。
彼女のエッセーからは元気と共感と先輩からの教えを貰う。

うかうかと若い時と変わらない気持ちで過ごして来た私に84歳なんて事実を自覚させられると未知の世界に放り込まれた様でうろたえるばかりだ。
そんな時若い時から見つめて来た方の文にホッとする。
グジグジ考えて引っ込み思案の私は彼女の強さに勇気づけられる。
その年齢にならないと判らない思いって有るものなんだな。
白内障の手術してから本は読めなかったから久しぶりに楽しかった。

そうしたらまた新聞の広告欄で
「皆さん、さようなら」
   これでおしまい 我が老後
    ・・・・・・・佐藤愛子が最後のケリをつけます!
それってないでしょ。 淋し過ぎるよ。
読者の勝手なお願いだと判ってるけど続けて欲しいと願う。
ともかく今度街に出たら買って来よう。