夫の母の命日2011/09/02

義母の肖像
夫の母の命日に沁みじみと想い出が湧いてくる。
普段は無精しているが今朝は榊を新しくし、お神酒と洗米と塩、水を供えて暫し手を合わせた。

明治27年生まれの義母は明治天皇を敬愛していて末期癌で入院した時に病名は伏せていたのに
「今度は駄目だと思うから明治天皇と同じ7月30日に死なせて欲しい」
と洩らした。
それから1ヶ月苦しい日が続いて義母には気の毒だったが、私は一日でも長生きして欲しかった。
その間に後に残る者が悔いを残さないようにさりげない感謝の言葉を告げ、最後の日には夫と私だけに居て欲しいと。

あの日 母は別れの言葉を言ったあとは両手を胸の上で祈るように組んで眼を閉じて、それから何れくらい時間が過ぎただろう。
静かに息をひきとった。
武士の妻の様な見事な最後だった。
夫は表情を変えず耐えていたけれど私はもう駄目、人目につかない所に踞って泣きじゃくった。
昭和40年の今日だ。

添付した日本画は義母の弟さんが描いた大きな絵の一部で義母の40歳前後のころだろうか。