長崎平和記念式典に思うこと2011/08/09

白百合
10時半から長崎平和記念式典の中継を見る。
広島の式典は病院の診察時間と重なって見られなかったので今年は11時2分に66年前犠牲になられた方々に黙祷を捧げた。
戦時下の暗く惨めだった人びとの姿がオーバーラップする。

原爆投下の候補地は幾つか有ったと後で聞いた。
運、不運だけでは割り切れない怒りと悲しみに気がつくと涙が溢れて来ていた。
戦争は悲惨なだけだ。
愛する夫や息子を戦地に送り、何万の戦死者出し、空襲で焼け野原になって非戦闘員も逃げ惑い、焼け死に、生徒は垢染みたぼろぼろの服装で工場に通った。
そして原爆だ。
理由の無い戦争はないことは判っているが何処かで間違ってしまったのだろう。

平和利用の原発に対する思いが重なる。
難しいことは判らないが素朴に思うことは人間利便さと利益の追求を少しスローダウンして原発電力依存を無くしていければと。
自然の脅威に対しても謙虚になって用心深くなること。
國と國との関係も核に頼る均衡じゃなくて友好関係が築けないものなのだろうか。
現実を知らない甘い理想論だと言われそうだが、広島、長崎の悲劇を身近に感じ、戦争の暗い面を体験した者としてはじくじく考えてしまう。