8月の想い出2011/08/01

記憶
想い出の中の8月1日は夏休みが始まる日だ。
長い長い一ヶ月の自由な時間がキラキラ輝いていた。
戦前は大人には夏休みなど無い時代だったから家族旅行も、無論海外旅行も考えもしなかった。
父の生家の山奥に子どもだけで泊まりに行き、小学4年ごろからは一人で汽車に5時間位のって1週間ほど遊びに何回か行った覚えが有る。
姉も兄も都会が好きだったし夫々忙しかったからだと思う。

田舎の家の前を流れる川ベリの葦にはにはオハグロトンボが止まり、透き通った水中には小魚が泳いでいる。 
裏木戸をでると一面田圃のライトグリーンの稲穂が風になびいて波のようだ。
伯母さんに独りっ子のように可愛がられて親戚を回ると、囲炉裏があったり、土間に牛がいたりする。
夏なのに草餅を臼でついて歓待してくれたものだ。

でも夏休みの大部分は朝ラジオ体操に行く以外は殆ど客間で本を読んでいた気がする。
友達とも外で遊んだはずだが記憶にあるのは低学年の時は児童向けの文学全集で「小公子」「小公女」「ジャングルブック」「こがね丸」「世界お伽噺」などなど。そのうち分厚い「漱石全集」を寝ころんで読んでいた。
夏休みには充分な時間があって嬉しかった。
5年生頃から世界文学全集の「二都物語」「モンテクリスト伯」などに引き込まれた。

女学生になると仲良し3人組が出来て夫々花柄のワンピースなどでお洒落して阪神パークなどへ遊びに行ったっけ。
私の提案で零戦の模型を作ったりもした。
初めて烏口を使って設計図を本を見ながら書いてみたが難しかったな。 散々の出来上がりだった。
でも夏休み後の作品展で校長先生から
「我が校でも時局柄模型飛行機を作る生徒がでまして・・」
と父兄に話されて面映かった。

8月は子どもの頃の楽しかった夏休みの想い出と次の悲惨な鎮魂の想い出がだぶる。