16歳の疑問に2011/07/19

ライム
先日買って来た新聞に16歳の女子高生の悩みの相談が載っていた。
 《「老いる」素晴らしさはある?》
ドキッとした。 
私もかつて思春期には同じ疑問を持ったことを思い出す。
末に生まれた私には祖父母の経験は無いが何時か両親と死別する日が来る事を想像してただ恐ろしかった。
世間の年老いた方達を見て死を間近にしてどうして平然と笑っていられるのだろうと不思議だった。
「きっと もっと勉強して大人になれば解る事なのだろう、それでなければあんなに楽しそうに平然としていられない筈だ」

四六時中考えていた訳ではない。
校舎の窓から校庭で戯れる級友達を眺めてフト自分を含めて皆のこれからの人生、最後の死について考え怯える私が有った。
死に終わる人生の意味について悩むのは大人になり切らない思春期特有のことだったのかも。
大人になったら日々の事に追われ 楽しみ時には悲しみそれでも充実してグジグジ考えている暇はなかった。

さて高齢になって自己有用感もゼロになった今、私は16歳の少女の問いかけに何て答えられるだろう。
ただ言えるのは
「歳をとっても楽しみはそれなりに有るよ。いろんなことを経験出来て良かった。
宇宙の成り立ちや科学の進歩を垣間見、パソコンの面白さ、アートの素晴らしさなどなど生きて来たから知る事が出来た。多くの人との絆も生きて来たから。
どうせ死ぬのだから早い方がいいってことだけは絶対にないと思う」
なんだか歳取る程に深刻に考えなくなるようだ。