昭和初期7月の小学生2011/07/15

入道雲
私が通っていた頃の小学校では夏休みは8月1日から31日までだった。
梅雨が明けると広い校庭の一隅に鉄骨の大きな日除けが組み立てられ屋根代わりのヨシズが涼しい陰を作ってその下だけはヒンヤリしている。
直射日光を浴びながらドッジボールや縄跳びで汗をかいた後は日除けの下で陣取りや地面に棒で絵を描いたりゲームして遊んだ。

7月の半ばからは授業は半日になり上級生になると先生に引率されて浜にでかけ水泳訓練だ。
水着に着替えると熱い砂浜に寝転がって横泳ぎの型などを練習したあと海に入ると気持ちが良い。
うっかりすると海水を飲み込み塩辛い様な苦い様な変な味がしたと父に言うと不衛生だとイヤな顔をしていたが、後になって経験したプールよりずうっと面白かった。
訓練の終わりには試験が有って最初の年には20メートル泳げたと思う。

我々町立小学校の生徒は川沿いの道を2列に並んで海にでかけ、向かい側の川沿いの道は私立小学校の生徒が海沿いの大きなプールの有る別荘に向かっていた。 そのプールには高い飛び込み台まで見えていた。
羨ましいとは思わなかったが格差社会を垣間みた気がしたものだが、後年女学校で一緒になった私立小学校出の友人に昔のその話をすると彼女いわく
「あの頃の特別扱い、ほんとうにイヤだったのよ」
それぞれに色んなことを感じながらこの歳になっている。

ともあれ7月半ば過ぎれば夏休みの期待に胸ふくらませていたものだ。