思い出の家2011/02/08

夕日
今までに引っ越した経験は18回と書いた日の夜に胆石の激しい腹痛に襲われて入院した。
そろそろ続きを書こうとおもう。

小学4年生から昭和19年に進学して寮に入るまで過ごした海の近くの川沿いの家は子供時代の思い出が一番多く詰まっている。
「細雪」にも出てくる阪神風水害に遭ったのもこの家だった。
上流で堰が切れて山に近い住宅街に土石流が溢れたので下流の我が家は被害を免れたが悲惨な状況は焼き付いている。

川沿いの1列だけが住宅で裏には名産の酒蔵が続いていて2階の子供部屋の窓から杜氏さんたちの作業ぶりを見るのが楽しみだったな。 前の川は水無し川で季節になると酒を絞る紫がかった茶色の袋が整然と並べて干されていた。
前の道を酒造に欠かせない宮水と言われる名水を運ぶ馬車が通る。 木製の四角いタンクからは水が滴っていた。
同じ道を春になれば杜氏さん達が一升瓶を何本か抱えて郷里に帰って行く姿が有った。

気が向けば飼い犬と浜辺を散歩して夕暮れ空に舞う蝙蝠を見たっけ。
小学校の高学年になれば反抗心で日曜学校をさぼり、人気のない防波堤に腰掛けて打ち寄せて飛沫を高く挙げる波を見つめて2時間を過ごしたこともある。
屋根裏部屋から鉄格子越しに夕日の赤さと沈んだ後の空を眺めて
永遠て何だろうと考えているうちに絶望感で涙が流れたのもあの家だった。

女学生になると毎日曜日の午後は、長い酒蔵の間の道を歩いて日本画の先生のお宅に通った。 人けがなく何時も怖くて緊張していたが黒い屋根に白い壁の酒蔵が続く情景は美しかった。
姉の結婚の準備で華やいだのも、兄が地方の高校に進学して家をでたのも、数年後に学徒出陣で高校の友人がストーム組んで送ってくれたのもこの家からだった。

一番多感な時期、そして家族がいるのが当たり前だと思っていた時期を過ごした家での思い出は尽きない。
振り返ると親子兄妹が一緒に過ごす年月って短かく貴重なものだ。

次に引っ越した家のことを書くつもりがまだ留まってしまった。

コメント

_ 薫 ― 2011/02/10 08:30

美海さん おはようございます(^o^)

私は今の時代では珍しいと言われる4人兄妹です☆
兄は4年前に結婚して弟は今年就職が決まり、家を出ました。
実家には妹と私、父と母の4人だけなったんです。

そのうち私も妹もどこかへ嫁いで家を離れるんですよね(~_~)
考えるだけでも寂しいです。

私はまだ結婚してませんけど、美海さんが私くらいの年齢の時は
(29歳)独身女性いましたか(^^ゞ?

いつか離れる…実家(+_+)
今の時間を大切にしたいです☆

_ 美海 ― 2011/02/10 09:36

薫 さん  おはようございます

私たちの時代は女性が仕事につくことは少なくて
自活の道がないから結婚は就職みたいな・・・。
23歳が適齢期でした。
早い人は20歳くらいで、 ほとんどがお見合い結婚でした。
家の釣り合いとか。  
今の若い方達は自分の意志で人生が決められて羨ましいです。
厳しさも感じますが。
30歳過ぎで結婚される方おおいようですね、
成熟した出会いはその頃なのでしょう。
結婚願望のない方も周囲に多いです。
結婚が総てじゃないって気持ちよく解ります。
でも家族っていいものだよと心ひそかに思うのは
ローバシンなんでしょうね。

あっ 今の結婚しされた女性は実家とのお母様との
関係は友達みたいに仲がいいですね。

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