パーマ今昔2010/09/07

エンゼルと静物
終戦を境に若者文化は一変した。
昭和18年頃からどこからの指令か知らないが女学生の髪型まで指定された。 
あの頃の女学生は一年生の時は全員、前髪を切り揃えた所謂オカッパだった。
2年生頃からそろそろ前髪を上げて横分けにし出す。 上級生になるほどに髪を長くしたが肩までかかる事はなかった。
長くして括るとか三つ編みにするのは昔風でダサイと思い込んでいた。
それが お上からの指令では後ろで二つに分けて括れという。
凄く抵抗感が有って先生の眼の届かない所では皆黒いゴム紐をはずしていたものだ。

女専の合格が判った翌日、私は髪を短くカットして登校したが先生は何も仰らなかった。 子供げたことをしたものだと恥ずかしい。
女専は自由な学校だったが学徒動員が始まった頃から髪を括る事を強制されたが誰も守らない。 先生も見て見ぬふりだった。
こんなことに皆がそこまで抵抗した気持ちは今の人には判らないと思う。

戦後は一変してパーマをかけてもいいとなった。
物珍しさに早速、しもた屋の小さな美容院に行って掛けてもらった。 パーマの技術持っている人は少なく、美容師は威張っていてこちらは叱られながらカーラーを差し出す手伝いをしたものだ。
ホットパーマでお釜状のものを被るのだがその暑かった事!
ともかくチリヂリになった姿の写真が残っている。
同室の友達も私のを見て掛けに行ったが、夜鏡を見ながら涙ぐんでいた。 予想外で情けなくなったらしい。
自由になったらなったで難しいものだ。 お洒落下手だった。

パーマで思い出すのは、昭和10年頃の母の仲良しグループの会話、
「パーマネントかけたいけれど高いわよね」
「せめて 5円になったらかけたいわ」
「そうよねぇ」
5円は記憶違いかも知れないが、長い髪を束ねて後ろに髷を作っていた頃、パーマの髪型は憧れだったようだ。
暫くして3人ともパーマをかけ世の中にも普及してきたが、戦争に突入後は非国民扱いになる。

今の若い世代のお洒落を見ていると、ほんとうに良い時代だなと思う。 こんなささやかな事にまで國から強制されるのはイヤだ。良識とは別の話だ。