学徒動員のころ2010/08/05

荒波に翻弄されて
戦争中の女学生のことを教えて欲しいと言われた。
以前にも何度か触れているが、やっぱり8月のせいかな、そのころのことが懐かしく思いだされる。
自分の記憶だけではアヤフヤなので友達に電話して聞きかけたら、すっかり回顧談に花が咲いて楽しんじゃった。

「工場へは何着て通ったっけ? 制服じゃなかったよね」
「私服よ。冬はオーバー着て、防空頭巾を肩から下げて」
「カーキー色(モスグリーン)の戦闘帽かぶってた」
「もんぺはいてる人いた? 私はズボンを作ってはいてたけど」
「ズボンが多かったけど、もんぺの人もいたわよ」
「靴が無くて父の革靴履いてたら、そういう人増えたわよ」
「あの頃の鮫皮の靴ってすぐ破れたのよね」
休日は2週間に1日だけ。24時間を3交代で分担した。
寮に帰れば死んだように眠っていたっけ。
無論、着のみ着のままだ。
空襲警報で何度も起こされ地下の防空壕に退避した。
「寮の食事酷かったよね。脱脂大豆粕にお米がチョット混ざってるご飯にお漬け物だけ!」
「クリスマスイブに小さなお肉が浮いてたスープ覚えてる?」
「うん 頂いたわよ」
「あれってテニスコート歩き回って可愛がられてた鴨。私の周囲の何人かはじーっと俯いて口付けなかった、みな優しいなと恥ずかしかった」
共通の思い出が広がって行く。
「楽しい事あった?」
「ううん 何も思い出せない。 結構軍国少女だったのかも」
「私、○○ちゃんとエスケープして石山寺で半日遊んで気を取り直した。 先生黙ってっ許してくれたの今でも感謝してる」
私は大学教授の娘さんから禁断の外国小説を借りて歩きながら読みふけったこと。
前にも書いた倉田百三「出家とその弟子」の話をしたら
「みんな あの本読んだよね」
皆 精神的なものを求めていたのだと思う。

あの頃は私は勿論、みなオクテで恋愛に対する憧れなんてなかったし話題に上る事も無かった。 信仰のない人間は哲学に走っていた。
お洒落に関心も無かったから、やっぱり楽しみは読書だったかなあ。

私は女学校4年生から女専に入ってしまったが、女学校5年に進んだクラスメートはすぐに工場に行く事になり、そこで苦楽を共にした友情の絆はこの歳になっても固くて羨ましくなる。

取り留めなく書いて参考になりましたかぁ? 具体的に知りたい事があったらコメントください。