母の日によせて2010/05/06

マリア像
昭和20年の5月、敗戦前の暗い時期だった。
工場が2週間に1回の休みの日で寮にいたときに父が訪ねてきた。
当時入学式に父母が来る習慣はなかったかし、まして女子寮に父が来るなんて 正直びっくりした。
私室には入らず、別の部屋で
「お母さんが入院することになった」
あんなにションボリした父を初めて見た。
直腸癌で父の勤めている病院で手術すろことになったと。
医師の父には 病状の深刻さがよく解っていたのだろう。
私は ただ頷くだけだった。

父が学校側に事情を説明してくれて、数日後に工場を休んで自宅に帰ることが出来た。
疎開先の家に、赤ちゃんを連れて避難してきた姉との暮らしは心細いものだった。  どんな時でも明るくて人付き合いのよい母の存在感をあらためて感じる日々で、ただ母の手術の成功を念じていた。

その時、母は43歳くらいだったと思う。 母の父が矢張り直腸癌で早世したと聞かされていたから遺伝なのだろう。
後で母は
「お父さんと同じ癌で良かった。 ゆっくり皆にお別れと感謝が言えるから」
祖父も母も根っからのクリスチャンだった。 そう考えられる母は幸せだなと感心したけれど、信仰から離れた私はついていけない。
治って欲しいと願うしかなかった。

手術は成功して、父もほっとして 疎開先の我々に知らせに来てくれた時は嬉しかったな。
手術して一週間経っていただろうか、大阪大空襲におそわれたのだ。
看護婦さんに抱きかかえられながら防空壕に避難して助かった。
すぐに予定を早めて家に帰って来た時は、姉と私は食料が尽き、前の晩から何も食べないでボンヤリしていた。
母が「可哀そうに、これ早くおあがり」と風呂敷を広げて白いご飯のお握りを出してくれた時は 涙がでそうだった。
母は空襲の後でもチャッカリと 仲良くなっていた付添いさんを通じて食料を確保してくる知恵と逞しさを持っていた。
 
帰ってきても2カ月くらいは病床生活が続いたが食料も別けて貰えるようになったから、我々は偉そうなことを言いながら母に頼り切って甘えていたことを痛感した。

2年後に父の方が先に逝き、母は手術後14年して天国に召された。
母だけは天国に行ったと信じたい。

不肖の娘で母不孝だったなぁ とこの歳になっても申し訳なかったと悔むことが多い。

人物デッサン(クロッキー)2010/05/07

人物クロッキー ムービング
アトリエは久々のクロッキーで緊張した。
それも20分ポーズ、10分ポーズの次は5分ポーズが5回、2分ポーズが5回と続く。
2分間に描けるのは身体の大まかな線描と陰影を付けただけで、あっという間に次のポーズに移っている。
14枚描いてヘトヘトになった。
でも 2分ポーズではモデルさんが2分しか持たない姿勢をしてくれる。 それが嬉しい!
プロポーション抜群で肌の美しいモデルさんだった。

最後はムーブ(ムービング)が10分間、5分の休憩を挟んで2回。
これはモデルさんがゆっくりポーズを変えて動く、連続で次々滑らかに変化していくのを描くわけだ。 舞のスロービデオを見ている感じ。
どういう風に描くという答えはないから自分の感性で描けと先生は仰るが最初に先生がデモで描かれたのはちゃんと動きが判る。

ひたすら動きを無心に追って描いた結果が添付の絵だ。
アブストラクト風だが自分ではチョット好きな絵になった。
勿論もう少し本格的なクロッキーが描けるようになりたいと切に思っている。

設定範囲外2010/05/08

夕日の輝きをデジカメで。
先日戴いた「選べるギフト」のカタログ、何にしようと迷いながら選んだのが体重計だった。 ダイエットに萌えていたせいもある。
有名医療機メーカーの製品で「体脂肪チェックで健康管理」とうたっているし歩数計もついている。

その実物が配送されてきた。
想像してたより立派で複雑そう!
体重、体脂肪率、内臓脂肪レベル、筋肉率、基礎代謝などを計り、パソコンと繋げてデータの経過も記録。
そのためには使う地域指定(場所に寄って違うのだそうだ)、年月日時刻を設定、個人データ(性別・年齢・身長)も設定しなければならない。
  うわぁ~  凄いもの選んじゃった しかし後戻りはできない。

整形医院に行く日だったので、待合室でゆっくり説明書を読んで大体の遣り方は解った。
が 年齢設定でチョッと落ち込んだ。
80歳以上は設定できない!
う~ん ここでもか って感じ。  別にぃ~ 80歳過ぎれば90歳も変わりないよ ってことなんだろうけれど。
80歳過ぎて体脂肪率なんて気にするほうが可笑しいよ ってことなの?
待合室は満員でやることがないからヒガンデはみたが そのうち馬鹿らしくなった。
実年齢より若い結果が出るかもしれない と思うと楽しみになった。

それにしても、アンケートや申し込みで 何歳代に○をつける欄は、60歳以上でくくられるのが常だ。
社会人としては規格外なんだなと 淋しくないと言えば嘘になる。

2010/05/09

ポピーが今アチコチで
母 という字と響きからは いろんなイメージが限りなく湧いてくる。
母なる大地 包み込んでくれる温もり 子を守る強い母。
敗戦直後には 実話に基づいた「岸壁の母」の歌が流れた。

自分が母になるときは緊張したなぁ。
末っ子だったから小さなこの面倒をみたことがなかったし、第一欠陥人間なのを自覚していたから、生まれてくる子どもに申し訳ないとビビった。
松田道雄(記憶あやふや)氏の育児書を何度も読み、婦人の友社から出ていたベビー服の作り方を参考におむつから肌着、ベービー服を手縫いした。 そういう時代だった。
それは楽しかったが子育てする自信は皆無。

生まれた我が子を初めて見たときは、なんだか新しい人生を踏み出したって感じで眩しい世界が開けた。
1か月ほどしてからだったろうか、家で一人我が子を膝に乗せて顔を観ていると眼が合って、ニコっと笑った! 初めての笑顔だった。 可愛かった! 初めてのコミュニケーションに気が付いたら私は泣いていた。
とめどなく涙が溢れてくる、予想していなかった感激だった。

親なんて言うのは、ことに私などは愛情だけは有っても理想的な、感謝されるような子育ては無理だ。 思惑の違いがあったり、反抗期を乗り越え 子どもは自分の力で大人になっていく。 反面教師も得るところはあっただろうと自己弁護。

立派に育ってとっくに自立した子どもたちを見るにつけ
「立派な人間になってくれて有難う! 不手際でごめんね」
子育ては 親が楽しみをイッパイ貰い いっぱいベンキョウさせてもらうものだと痛感した。
よそ様の母はもっと立派だと思う。

「母の日」って感謝されると 凄く嬉しい!
  あなたたちの方が数倍立派で感謝するのはコチラよと思いながら。

お喋り2010/05/10

楽器
電車には殆ど一人で乗るのだが、美術館へ年上の友人と連れ立っていくことがある。 30分ほど乗っている間、ずーっとお喋りに夢中になって、それがまた楽しみなのだ。無論片隅のシルバー席で小声だから周囲に迷惑かけてるとは考えてもいなかった。

先日アトリエに行く途中、30分ほどいつもの電車に乗った。
始発の駅から終点までだから、うたた寝することにしている。 その日は朝早く起きるから貴重な休息だ。
3人掛けのシートに中年の女性が二人隣に座ってお喋りが始まった。 大声ってわけじゃないけど、一人が甲高い声で頭に響く。 その方が専らリードしてお相手は大人しく感心したように相づちうっている。 
いやでも聞こえてくる話はン千万円の時計をプレゼントして貰ったとか、その時だけはチラット横目で見た。ブランドに弱いから
金ピカの時計だなと思っただけだがン千万円は聞き違いかもしれない。
暫くするとどこのストアはお魚が安いという庶民的な話題になっていた。
決して聞き耳立ててた訳じゃない。 聞こえないように苦心していたのだ。
私の耳は子どもの頃から悪い。 加齢とともに或る波長に苦痛を覚えるようになった。 甲高い音と低い地鳴りのような音を聞くと気分が悪くなる。
個人的事情だから相手のお喋りを非難する資格はない。

しかし満員になって席替えも出来ず、始発駅から終点までその二人の会話は途切れることがなかった。  疲れた。
今度からは耳栓を携帯しょうと決意。

反省した。 友人と楽しんでるお喋りも もしかしたら迷惑かけているのかも と。