就職 昔話2010/05/22

野の薊にょうに
結婚して半年後に義母は上京して二人だけになったが生活は相変わらず赤字続きだった。
「お勤めしようかしら」
夫は、男性が一家を支えるという信念は持ち続けていたが、何かにつけて男女平等論を振り回す私に大分洗脳(諦め?」されて
「したいなら いいよ」
と言ってくれたが、それからが大変だった。
義母は東京なので、親戚代表という感じで義姉のご主人が見え、座敷で正座して夫が
「就職したいと言ってますので,,,,」
「このご時世ですから 家事に差し障りがなかったら良いのでは」
「はい」と神妙に答えたが内心は古い土地の親戚関係の煩わしさにうんざりだった。
夫にしたら後々のことを考えて布石を打ってくれたのだろう。
私のためにという気持ちは解っていた。

戦争中に学徒動員とか挺身隊とかで女子が働くようになったが、それ以前は女性が社会に出て働くのは特殊の才能を持った人(医師とか教師など)に限られていて、学校を出ると所謂 花嫁修業のお茶や生け花、料理、洋裁などを習ったものだ。
まして 結婚してから妻を働かせるのは外聞が悪いという感じが残っていた。
今の方達には理解出来ないでしょう。

夫の学友や知り合いが職場を見つけてくださり、一番近い所に決めた。 職場は快適だった。
中古の男性用の自転車を買い、公園の爽やかな樹々の間を走り抜けての通勤も楽しかった。
家計は一挙に楽になり、休日は夫と映画を見たり、スキーに行ったり、本を買ったり....。
家事は 特に掃除は手抜きだったなぁ。
「男子たるもの厨房に入るベからず」の時代が尾を引いていたから夫は絶対に家事に手を出さなかった。

2年近く勤めて赤ちゃんが出来たのを機に職場を去った。
新開地に小さな家を建てて古い土地からも去った。
子育てと仕事を両立させる自信はなかったから家庭に専念して、若い間は家計の遣繰りが大変、おまけにパニック障害までやって家族に迷惑かけたけど、日々が新鮮だった充実した日々の想い出だけが蘇る。