電話機昔話2010/05/17

初夏の海
ラジオの「今日は何の日」で押しボタン電話機の売り出しが開始された日と聞いた。 後に公募でプッシュホンと命名されたとか。

電話の昔話
昭和初期には電話の有る家には玄関の上にかまぼこ板二枚分くらいの分厚い木の札に縦書きで「電話 壱番」とか厳めしく書かれたのが掛かっていた。
毎年電話の公募があって申し込んで当たると比較的安く購入できたらしい。 徐々に一般家庭にも普及したいった。
一軒おいてお隣のお宅が引かれたので、電線を引っ張って貰って電話の呼び出しをして貰っていた記憶がある。
お茶の間の柱に取り付けられた電話機は長方形で前面にはラッパのような送話する部分が有り、受話器は箱の側面のフックに掛けられていた。
ともかくテンコツなもので、子どもだったから呼び出されるのが苦痛だった。

女学校に入るとクラスの電話網が作られ、クラスの中で電話のない家は3~4名だった。 最後に近くの友達が歩いて知らせにきてくれる。
その友達には迷惑かけたろうが電話がないことは全然気にならなかった。
その頃京都で公衆電話ボックスに入って吃驚したことが有る。
木製の電話機の側面にハンドルがついていてそれをぐるぐる回して交換手さんを呼び出すのだ。 さすが古都!

我が家に電話が引かれたのは結婚してから昭和28年ごろだったろうか。 黒いダイヤル式の、上に受話器を置くタイプ、その頃は素敵に見えて嬉しかった。
10万円の債権のお金を義父に借りに行ったら義母がさっと出してくれて「あなたにこんなことさせるなんて、自分でくればよいのに」と夫を詰って優しい義母だった。

電話機のその後の変遷には色々の思い出が有る。 続きを書き留めておきたくなった。