エスケープ2010/04/24

京都の新緑(写真)
京都で撮って来た新緑の写真を眺めるうちに学徒動員で軍需工場に通っていた日のことを思い出した。
朝のTVで戦時中の話しを見たせいかも知れない。
満州に渡り、銃を持って戦った少年達に比べれば、少女達はまだ恵まれていた。
空襲警報のサイレンは毎日鳴っていたし、飢えてはいたが工場での作業はそれなりに面白く、徹夜も苦にならなかった。
若さとはそういうものだろう。

が 真冬に勉学から離れ、毎日殺風景な騒音のなかで単純作業に追われて寮に帰れば死んだように寝る毎日が数ヶ月続いて 心が飢えているのに気が付いた。
本が読みたかった。 工場へは駅から田圃道を半時くらい並んで歩く、その間にむさぼるように本を読んだ。 学者の娘のクラスメートから文庫本を次々貸してもらった。 表紙を開けると謹呈と訳者の署名があった。 街の書店ではもう手に入らない本だった。

新緑が芽生えてきたころ、親友と「今日は行きたくないな」と晴れた空を見ながら呟いた。 あの暗い工場に行くのが辛かった。
「エスケープしよか」 何かどうなってもいいような気分だった。 誰にも告げず そーっと二人で反対向きの電車に飛び乗って ともかく離れたい気持ちでびわ湖に向かっていた。
電車を乗換え石山寺に登った。 新緑の楓で埋め尽くされた別世界だった。 心が癒されていく。 何時間か黙って過ごし夕方寮に帰ったら 級友は 具合悪かったの? と心配してくれたが、先生は何も仰らなかった。 解ってたのだと思う。

翌日から普通に工場に出掛け、前より熱心に作業した。
国民全員が必死だった非常時に不謹慎だったが、あの自然の清々しさ、おおらかさに私は立ち直れたと思っている。