日本画の思い出2010/03/04

御所人形(叔父の遺作)
女学生の時に描いた雛人形を昨日眺めたら当時のことを思い出した。
洋画の先生やアトリエには何となく親しみがあったが、母に連れられて初めて日本画の先生のお宅に伺ってみると全然勝手が違う。
前栽に打ち水がしてあり、広いお玄関の式台に恐る恐るあがって衝立ての奥の階段を上ると廊下の横に細長いお稽古場があった。
コの字型に座卓が並べられ奥に先生が袴姿で座ってられる。
次回から一人で行くとこの廊下に座って名前を告げてから障子をそろっと開けて、皆様にご挨拶をしてから下座に座るのだ。
子どもは私だけだった。
最初の一年ぐらいは前に置かれた花や静物をドウサを引いた半紙大の和紙に顔彩(日本画絵の具)で写生した。
先生は穏やかな方で丁寧な言葉で教えてくださり、私語もまったくない、清々しい雰囲気だった。
二年目あたりから絹に描き始めた。 お手本を見ながら大きな和紙に書き写し、その上に絹布を置いて透けて見える下絵をなぞりながら仕上げて行く。 下絵通りと言っても長い輪郭線などは失敗が許されないから緊張した。

基本を修行してから創作の段階へとは頭では理解していたが、段々お手本通りに描くことに抵抗を感じ出した。
市民生活にも戦争の影響が次第に強くなり、一年早く進学して家から離れたこともあって私の日本画は3年あまりで終わった。

60歳代半ばを過ぎてやっぱり絵が忘れられず、今は油彩や水彩を楽しませてもらっているが、日本画の良さも沁み沁み感じるようになった。

結婚して夫の親戚に日本画家が二人もいらして嬉しかった。
添付した御所人形はその一人が色紙に描いて下さったもの。美しい絵を描かれて素敵な方だったが40代で不遇のうちに亡くなられた。
50年以上前の話しである。