相撲今昔2009/11/15

エンゼルのレリーフのスケッチ(水彩)
今日から大相撲九州場所が始まった。
相撲も国際色豊かになって喜こばしいことなのだが、日本人力士ももう少し頑張って欲しいな。
大鵬・柏戸、栃錦・若乃花、千代の富士、若貴時代は記憶に新しいだろうから、もっと昔に遡ろう。

私が小学生だったころは双葉山の全盛時代だった。
当時の少年雑誌には横綱の全身の写真が大きく載せられていて玉錦、双葉山、男女の川、武蔵山などが記憶に残っている。 
大相撲は年に4回だったと思う。
テレビなんて勿論無いからお茶の間の旧式な大きなラジオにかじりついて聞いた。
兄が大きな星取り表を手描きしてラジオの横の壁に貼って二人で一喜一憂したものだ。
双葉山が69連勝していて期待された70連勝を阻んだ安芸ノ海との一戦も聞いた! アナウンサーが絶叫していた。

スポーツの種類が少なかったせいか相撲人気は高く、小学校にも校庭の一隅に屋根付きの立派な土俵が作られて男子達は体操の時間に相撲もしていた。 女子も珍しくやったことがあって、体操服でさすがにまわしは締めないから、押しとか取っ組み合いするくらいだったが結構面白かった。
今思うと、女の子らしくしなさいと言われなかったのは開放的な土地柄のせいだったかも知れない。
兄が小学生だった頃はよく相撲の相手をさせられたことを懐かしく思いだす。