「鉄道の日」に思う事2009/10/14

ローカル線の小さな駅で1時間待ちした時のスケッチ

【明治5年9月12日(新暦1872年10月14日)に、新橋駅(後の汐留貨物駅、現・廃止)と横浜駅(現在の根岸線桜木町駅)とを結んだ日本初の鉄道(現在の東海道本線の一部)が開業した】

それで今日は鉄道記念日。 今朝のTV見て初めて知った。
SLマニアって圧倒的に男性と子どもが多いですよね。

私だって、味も素っ気も無い電車に比べてロマンは感じます。
ゴットン ゴットンという音と揺れ、
ボーッと重量感のある汽笛の音に「ああ トンネルに入る」 緊張感、
駅に停まるとお弁当を載せたお盆のような入れ物を肩から下げた男性が「お弁当〜」と大声で傍をを通るから窓を開けて何十銭かで買う。 行き過ぎてしまった時は父が列車から降りて買いに走る。待っているほうは子どもだから間に合うかと心細い思いをした。
素焼きの小さな土瓶は蓋が茶碗になっていた。 
田園風景を眺めながらのお弁当の美味しさは昔も今も変わらないだろう。 ただ当時の駅弁は質素だった。

戦中敗戦後の数年は、出征する方達を万歳三唱で送る切ない別れがあり、疎開児童の親子の心細い別れ、農村への買い出しラッシュと取り締まりのいたちごっこ。
当時は乗る事自体が困難を極めた。 私も窓へよじ登り乗客の膝や肩の上を渡って隙間に入り込んだ経験が何度も有る。

やがて復興も軌道に乗りまともに乗れるようになったが蒸気機関車はしばらく続いた。 
仕事の出張で乗る機会が多かったが京都の近くのトンネル酷かったですよ、
「トンネルだ!」 「窓閉めろっ」
と男性の乗客が口々にに叫ぶが閉め遅れた通路から白煙がもうもうと客席を襲う。 あちこちで「ゴホン ゴホン」と噎せる。
ボーの汽笛でトンネルを出た途端に一斉に窓を開ける。
皆 どす黒い酷い顔をしていた。
目的地で降りると真っ先にホームで課長と並んで顔を洗ったっけ。
 余談だがその後改札口で進駐軍の監視のもとにDDTを襟元や袖口から噴霧されて今度は白くなった。

子供だった戦前に特急つばめが東京まで9時間で行けるようになったニュースにわくわくした想い出。
戦後東京オリンピック開催を機に完成したスマートな新幹線に乗った時の新鮮な喜び!

悲喜こもごものことを思いだした「鉄道の日」です。