昭和初期の運動会2009/10/04

女子は紅白表裏の鉢巻き、男子は帽子だった。

私が小学生だった昭和10年前後の秋の運動会は町の一大イベントだったから、今の時期は毎日運動会のための練習に明け暮れた。
種目はダンス、100メートル競走、綱引き、大珠転がし、リレー、男子は組み体操や騎馬戦が加わる。それに総行進などなど。

当日になると朝早くからドーンドーンと打ち上げる音が町中に響いた。
この日だけは体操着のままお弁当だけ持って登校する。 運動会の時だけ履く白い薄い木綿の地下足袋が軽い。
人口2万人の小さな町の真ん中に小学校が位置して生徒数が2千人だった。 今では考えられない子沢山(4~5人が普通で8人も)の家庭が多かった。

時計台の上から張られたロープに万国旗がはためき紅白に飾られた入場門なども華やいでワクワクしたものだ。正面にはテントが幾つか並び校長先生はじめ来賓の方の席になる。周囲はござが敷かれて全校生徒が紅白に分かれて対峙した。 そのほかの席に家族や町中の人が集まった。

種目は今とあまり変わらないと思うが、紅白対抗なので騎馬戦などには大きな声援を送った。
「赤 ガンバレ」 「白負けるな」がエスカレートして
「赤 アカン」  「白シンダモーン」 などと声を揃えて大声で囃すがこの日ばかりは天下御免だった。
午前中の締めくくりは全校生徒の総行進で勇ましい第二校歌に合わせ大きく手を振って400メートルのトラックを何周も回った。 

昼食は貧富の差が大きかった当時の配慮だったのか生徒は教室でお弁当を食べた。 運動会と遠足のお弁当は関西風の具の多い太巻き寿司に決まっていて母親は早起きして作ってくれた。

運動会の最後は各組から選抜された選手の対抗リレーだ。皆が燃えた!
終わりに紅白の勝敗が発表され、各競技の勝者に賞状と副賞が校長先生から授与された。

私はいつも中くらいで何も貰えなかったが、教室では成績の良くない子がヒーローになったりして ほんとうに楽しかった!

戦争に巻き込まれて行く前のまだ平穏だった時期の懐かしい思い出だ。